日揮発の培養肉ベンチャー「オルガノイドファーム」の代表を務める山木多恵子さん。
撮影:三ツ村崇志
ウシやブタ、トリなどの家畜の細胞を培養して「肉」を作る——。いわゆる「培養肉」。
将来の人口増に伴うタンパク質不足(プロテインクライシス)への対策として、大豆などから作られる植物肉と共に、日本でも少しずつ「培養肉」のプレイヤーが増えている。2021年には、プラント・エンジニアリングで知られる日揮が新規事業の一つとして培養肉の事業化を目指すべく100%子会社「オルガノイドファーム」を設立。神奈川県藤沢市にある湘南ヘルスイノベーションパークで研究開発を進めている。
オルガノイドファームでは「和牛」の培養肉に注目。2026~27年にパイロット装置で数キログラムレベルの培養肉の試作品の生産、「プロテインクライシス」が本格化するとされる2030年以降の商業化を目指している。2024年1月には、Business Insider Japanが発表した社会課題に取り組むZ世代やミレニアル世代の才能や取り組みを表彰するアワード「BEYOND MILLENNIALS(ビヨンド・ミレニアルズ)2024」にも選出された。
一見すると培養肉とは縁遠いビジネスを展開する日揮から、なぜ培養肉ベンチャーが生まれたのか。大企業の中でまったく新しいビジネスを生みだせた背景と設立2年後の今を、オルガノイドファーム代表の山木多恵子さんに聞いた。
1人1経営者に。日揮の「未来戦略室」
神奈川県藤沢市にある湘南ヘルスイノベーションパーク。もともと武田薬品工業の研究所だった場所を、2018年に外部開放する形で設立された。製薬企業に限らず次世代医療、細胞農業、AI、行政など約150社、2000人以上の企業・団体が集まっている。(2023年4月現在)
撮影:三ツ村崇志
日揮グループは、2019年にホールディングス化。山木さんは、ホールディングス化に伴い誕生した国内事業会社である日揮の経営企画や事業開発を担う「未来戦略室」に所属していた。
「今までの日揮の枠にとらわれない新しいビジネスを作りなさい、という大きなミッションの下で、いろいろな事業の種まきをしていました」
未来戦略室では、「1人1事業化」を目指し、担当者それぞれが「経営者」となって事業を軌道に乗せていくことを想定していた。2021年に誕生した閉鎖循環式陸上養殖システムを手掛ける「かもめミライ水産」も、未来戦略室が事業化を推進し、パートナー企業と共に生み出した企業だ。
日揮社内の「新規事業」ではなく、本社からスピンアウトし別会社として参入するのにも理由がある。
「培養肉」はもちろん、新規事業として挑戦が必要な市場はどうしても不確実性が高い。ただ、大きな組織の中でのプロジェクトになると、意思決定に時間がかかってしまい機会を逃してしまうこともある。
「会社の外でスピード感を持った意思決定をしていこうという狙いもあって、事業部門ではなく子会社化した経緯があります」(山木さん)
「20年後の種まきを」
オルガノイドファームの親会社は、日揮ホールディングス(JGC HOLDINGS)の国内事業会社である日揮だ
REUTERS/Chris Helgren
山木さんは学生時代、生命科学を専攻していたこともあり「食糧問題解決のための手段となりうる培養肉開発はもともと面白いと思っていた分野でした」という。その上で、新規事業を探る中、一見関係が遠くみえる「日揮」と「培養肉」に親和性があることに気がついた。
「培養肉は、きれいな装置の中で“タネ”となる細胞を効率よく増殖させる必要があります。実は日揮は医薬品や細胞培養のプラントも多く手がけており、独自の培養槽の開発も十数年前から行っています。日揮が保有する既存の技術は培養肉と親和性が高く、生かせると考えたのです」(山木さん)
日揮技術研究所のパイロットスケール動物細胞培養槽。
日揮提供
培養肉を商用化するためには、将来的に「スケールアップ」が課題となる。これまで医薬品や細胞培養の産業プラントを数多く手掛けてきた日揮にとって、培養肉事業はむしろ「ハマっている」事業なのではないか。
ただ、新規事業として社内から投資を受けるまでには課題もあった。培養肉産業はまだ市場形成が十分に進んでおらず、判断材料が少なかった。培養肉にどれだけ可能性があるか、山木さんは仮説検証を繰り返しながら事業計画をブラッシュアップしていった。
「これから先、培養肉が将来主要な産業になりうるのか、この業界が伸びていった先にいかに日揮のリソースが生かせそうか、どれだけ収益を得られそうかを丁寧に説明しました。説得材料はかなり入念に探して用意しました」(山木さん)
日揮が肉を作る——。最初は違和感を持たれるれることも多かったというが、少しずつ、丁寧に解きほぐしていった。加えて、エネルギー転換が進むなど、事業環境が激しく変化する中で、フードテックや食品分野を開拓していきたいという日揮のマネジメント側の考えも追い風になった。
「あとは『とりあえずやってみる』ということも、新規事業に取り組む上で絶対に必要になるということも伝えていました。最終的に上層部からも『未知の分野にチャレンジしてみよう』と後押しいただき、GOサインが出ました。もともと10年後、20年後のための種を今から少しずつまいて育てるつもりでやろうという話をいただいていたので、そのリスクを取ってもらえたのだと思います」
こうして日揮・未来戦略室の新たなスピンオフ案件として採択。2021年11月に「オルガノイドファーム」を設立し、培養肉事業が動き出すことになった。
アメリカのスーパーでは、ビヨンドミートなどの植物由来の代替肉の商品が並んでいる。培養肉も、環境負荷を低減しながらタンパク質不足への対応を進めるために必要な技術として注目されている。
Richard B. Levine
予定通りには進まない商業化への道
オルガノイドファームでは、細胞培養のスケールアップに関する知見を基に、高品質な「和牛」培養肉を生産するための基盤技術の提供を目指している。
世界の培養肉スタートアップを見渡すと、消費者向けの製品開発までを担う企業も多い。オルガノイドファームとしては、あくまでも培養肉の原料を効率よく製造する技術開発に注力する。
「タネとなる細胞から培養肉製品の素材を量産する技術を提供するのがオルガノイドファームのビジネス領域です。培養した筋肉や脂肪をステーキに加工するには3Dバイオプリンティングなどの技術が必要になるので、そういった技術はほかの会社と協働することを考えています。培養肉の生産では、それぞれの分野で強みを持つパートナーをと共にサプライチェーンを構築することが重要となります」
日揮の得意分野である「生産プロセスの開発」を生かした戦略だ。
創業からもうすぐ3年。研究開発には苦労も絶えないと話す。
撮影:三ツ村崇志
現在の計画では、2026~2027年にパイロット装置で数キログラムレベルの培養肉の試作品の生産。その後、大量生産技術の開発とともに製造した培養肉を製品加工する技術を持つようなパートナー企業を見つけ、2030年以降に商業化を目指している。
現在はパイロットプラントの実現に向けて基礎研究を進めている段階だというが、研究上の課題はいくつもある。
例えば、商業化・量産化に向けて培養プラントのスケールアップは絶対に超えなければならない技術的な壁だ。「培養肉」と言っても、培養プラントにタネなる細胞を入れるだけで無限に増殖していくわけではない。
「そこが1番のネックです。現在食肉組織から採取した培養肉のタネとなる細胞は、際限なく分裂することができません。ある程度分裂すると、それ以上増殖しなくなってしまいます。培養プロセスの効率化は、細胞のもつ能力に依存する側面がかなり大きいです。どんな細胞をタネとして用いればスケールアップに耐えられるかを必要なプロセスから逆算して、大量生産に適した細胞の選択から行っています」
湘南ヘルスイノベーションパークで研究開発を進めている。
撮影:三ツ村崇志
プラント側のプロセス改良も必須だ。培養装置に入れて小さな筋肉の組織を作りだす1サイクルにかかる日数は、現状で約2〜3週間。より高密度で細胞を培養できる装置の開発や、培養期間を短縮できるような培養条件を見出すことができればその分生産コストを削減することができる。
「細胞側と装置側、それぞれからアプローチして、最も効率的な条件を探っています。1万リットルの培養装置で1サイクル(2〜3週間)あたり1トンの培養肉の回収を目指します。現在は細胞の回収率の向上を重視していますが、その次に培養液のコストを落としてさらにコストダウンを目指していきたいです」
研究開発は茨の道だ。ただ、思えば子会社設立時から苦労は絶えなかった。
「会社の設立のために、登記の方法や銀行口座の開き方などもイチから勉強しました。社長になって初めて、今までは組織に守られていたことに気が付きました」
スタートアップの舵取りは、研究開発と同じく試行錯誤の繰り返しだ。目の前の仕事に集中できていた大きな組織の中での仕事とはまったく性質が異なる。
成果が見え始めている部分もあるとはいうが、実現までの道のりは一筋縄ではいかない。それでも、着々と進めていくしかない。
「長期的に見れば10~20年後に、培養肉は新しい食糧の選択肢として必要になっていくはず」
それが山木さんの原動力だ。