21歳のときに、宝くじで約32億円を当てた。それが私のすべてを変えた

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ティム・シュルツ氏は1999年2月、パワーボールでジャックポットを当てた。

Tim Schultz

  • ガソリンスタンドの店員として働いていたティム・シュルツ氏は、1999年、21歳の若さで宝くじに当選した。
  • シュルツ氏は大学を卒業してすぐに引退生活に入ったが、人間関係が悪化した。
  • シュルツ氏はお金で幸せを買うことはできないが、時間と機会を買うことはでき、ストレスが減ると話す。

以下の語り口調のエッセイは、1999年にパワーボール宝くじを当てたティモシー・シュルツ氏との対話をもとにしており、長さとわかりやすさの点から、編集を加えています。

パワーボールくじで2800万ドル(約31億9200万円[※1999年当時の114円換算])を当てる数カ月前、私は宝くじに当選するという鮮明な夢を見ました。あまりにリアルだったので、現実でも絶対に当たると確信しました。

それは1999年のことで、私はガソリンスタンドの店員として働くかたわら、アイオワ州にあるリベラル・アーツ大学で勉強していました。最低賃金を稼ぎながら、両親の家の地下室で暮らしていたのです。

週に1回か2回、1枚のくじを買っていました。当選することを常にイメージし、そのことを人にも話しました。みんなは、「もし誰かが当たるとしたら、それはきっと君だろう」などと言っていました。

そして、実際に当たったのです。

雲の上を歩いているような気分に

1999年2月11日、誰かがパワーボールを当てたと叫びながらドアをたたく父の声に、私は起こされました。父は、私がチケットを買ったかどうか、尋ねました。私はすぐに、前の晩に当たりくじをもっていることを何人かの知人に話したのを思い出しました。

私は必死になって紙の山をかき分け、くしゃくしゃに丸められたチケットを見つけました。それを広げ、大急ぎで階段を上って、キッチンで新聞に載っている数字と見比べたのです。

数字が一致しているのを見て、私は夢をみているのかと思いました。父が私を抱きしめ、私たち二人はまるで子供のように飛び跳ねながら喜びを分かち合いました。

母に電話をすると、彼女ははじめのうち、私が冗談を言っているのだと思ったようです。ファイナンシャルアドバイザーと弁護士にも電話をしました。彼らはチケットをどこか安全な場所に保管して、宝くじの引き換えを行なう日時を決めるようアドバイスしました。私は天にも昇る心地で、雲の上を歩いているような気分でした。

記者会見で、私が2800万ドルを獲得したことが発表されました。その後、私たちの電話にはメッセージが殺到しました。知人は私を祝福してくれたのですが、見知らぬ人からのメールもたくさん届きましたし、お金を要求してくる人もいました。

記者会見では、私は路上に飛び出して車のヘッドライトに照らされたシカのような気分になりました。ワクワクすると同時に、怖くもありました。何百万人もの人から注目されたことなんて、それまで一度もありませんでしたから。でも、その状況を楽しんでいる自分もいました。その経験があったから、私はニュースやポッドキャストの放送に興味が湧いたのだと思います。

借金を返済する、大学を卒業するなど、くじに当選したら何をするか、私は以前から常に考えていました。でも、人生が一変するとは想像もしていませんでした。

ガソリンスタンド店員から億万長者に

私は21歳でガソリンスタンド店員という職業から引退しました。まるで、魔法の杖を手に入れたような気分でした。すべてが可能でしたが、同時に、経済的な責任はきちんと果たしたいとも思いました。

換金する前、私は資産管理の専門家に相談して、他人のために、あるいは寄付として、どれぐらい使えるのかを教えてもらいました。そうやって、たくさんの人を支援しましたが、その際、使い過ぎることがないようにも気をつけたのです。

お金を受け取る前、私はアドバイザーといっしょに投資計画を立てました。利益が一生続くように、保守的な投資計画を選びました。

当時の私はまだ21歳。得たお金で最初に買ったのは最新のビデオゲーム機でした。以前の生活では考えられない贅沢です。

私は資金の大半を株式と債券、そして投資信託に投資しました。家族を支援し、車を買い、旅行をしました。そして、大学に戻って、映画・放送ジャーナリズムを勉強するという夢を叶えたのです。

人間関係への影響

私は友人たちと��じで、いわゆる苦学生でしたが、突然、大金持ちの学生になりました。当時の私は、友人と一緒に旅行や食事をしたときには、全額支払うのが自分の義務だと感じるようになりました。

ほとんどの人はお金を求めませんでしたが、私にはお金に余裕がありましたし、宝くじに当たったのだから彼らの分も支払うのが道理だとも思っていました。

みんなは私をサポートしてくれましたが、態度が変わった人もいます。何人かは私のことを生きたATMとみなして、しきりに近寄ってきました。私は、まともな理由で私と友達になってくれる人はいないのではないかと不安でした。逆に、私に対する態度がまったく変わらなかった人々は、信頼できるとわかりました。富が私に与える影響のことを心配してくれる家族や友人もいて、彼らに対する信頼は以前にも増して強くなりました。

宝くじに当たった場合、人々はそのお金を努力の結果として稼いだものとはみなしません。親戚のなかには、そのお金は何の苦労もせずに宝くじで得ただけのものなので、親戚や他人のために使い続けるべきだと、はっきりと伝えてきた人もいました。

金銭的な責任を果たし続けるには、「ノー」と言うことを学ばなければなりません。私が断固として拒否したため、大切な親戚の何人かとの関係が損なわれました。

賞金を得てからしばらくは、孤独を感じました。新しい人間関係を築くのにも苦労しました。宝くじが当たる前のほうが、デートもしやすかったです。あまりにも多くの人が私を知り、居心地が悪くなったので、私は別の州へ引っ越すことにしました。

宝くじに当選することがもたらす社会的な影響を、私は短期間で身をもって学びました。

お金の使い方

当選から最初の1年は、友達と壁に貼った地図にダーツを投げて、ダーツが刺さった場所に旅行をしました。カナダの中部に刺さったので、私たちは北国で冒険旅行をしました。

仕事はすぐにやめましたが、自分の好きなことは続けました。

お金を手に入れてからは、何をすると自分は幸せになるのかと真剣に考えるようになりました。ビーチに寝そべってカクテルを飲むのも悪くありませんが、すぐに飽きてしまうでしょう。

私には、毎朝起きる理由と、目指すゴールが必要でした。だから、大学に戻って学位を取得し、いくつかの制作に携わり、人々をポジティブに刺激して楽しませるという夢を追うことにしたのです。好きなことを通じて、自分を奮い立たせたのです。

これまで、1本のドキュメンタリーといくつかのアニメーションを制作し、インディーズ映画の制作者をサポートし、ある映画フェスティバルも立ち上げました。「Lottery, Dreams and Fortune」というポッドキャストもスタートさせ、大きな賞や宝くじに当選した人々を取材しています。そうした人々に会って彼らの旅路を理解することは、私の精神にとっても浄化作用をもつようです。

最近では、自由時間のほとんどを、ポッドキャストとYouTubeチャンネルの制作とエクササイズに費やしています。ビデオをつくっていない時間はだいたい、ジョギングやウエイトリフティングをしています。YouTubeからは収入が少し入ってきますが、基本的には投資で生計を立てています。

今、振り返ってみて

人々は「お金で幸せが買えるのか」と問います。お金は、必ずしもあなたの人格を変えるわけではありません。時間と機会が買えるようになり、借金のストレスが減るので、お金は幸福に影響します。でも、あなたという人は変わりません。非常に裕福な人のなかにも、とても不幸な人はいます。

今思うと、数年前にビットコインに投資しておけばよかったと思いますが、私が賞金の使い道で後悔しているのはその点だけです。当選してまもなく、新車など大きな買い物をしました。

最近では、極端なものを買うことはありません。多くの人と同じで、予算内の生活を維持しています。数億ドルが当たったら、予算は今とはまったく異なるものになるでしょう。何もかもが相対的です。私は、今手元にあるものに感謝しています。

21歳のころ、大金をどう扱えばいいのかがわからず、専門家の指導を仰いだのは、私にとっての幸運でした。私は数年で破産した宝くじ当選者のリストに載りたくなかったのです。

1999年の時点では、賞金獲得を公に発表するかどうかの選択肢はなかったので、今の自分の状況を知っていても、違った選択はしなかったでしょう。私はメディアに向けて話したし、その後の経験を公に発表することもできました。

しかし、もし私が今21歳で選べる状況にあるなら、匿名で賞金を受け取ることを検討します。高額賞金の場合はなおさらです。その賞金が自分の人生にどんな影響を及ぼすのか、前もって知ることはできません。

宝くじに当たると、身のまわりの世界が一瞬にしてひっくり返ります。たった1枚のチケットで、何が起こるかわからないのだから、責任をもって楽しむことをお勧めします。

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