【イギリス政権交代】スターマー新首相、政権目指して準備してきた内幕

スターマー夫妻

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画像説明, スターマー首相夫妻

ローラ・クンスバーグ、BBC番組「サンデー・ウィズ・ローラ・クンスバーグ」司会

「雷のような顔で」。つまり、怒り心頭に発した、激怒した表情で。野党党首だったサー・キア・スターマーは、議会の開会が終わるたびに、そうやって事務所に戻った。毎年毎年、議会が開かれ、与党・保守党の政策方針が披露されるたびに、スターマー氏は深くいらだち、怒っていた。野党党首にかけられた呪いを、彼も背負っていた。つまり、自分は蚊帳の外であると。

そのスターマー氏は5日午後の昼時に、正式に首相に就任した。しかし、実はもう数カ月前から、自分がダウニング街の住人になる事態に備えて、イギリス国家が静かに準備を進めていたことも、彼は承知していた。

「私たちは彼の最初の1日、最初の1週間、最初の1カ月のすべての週について、1時間ごとに何をどうするのか、万全に準備している」。中央官庁の消息筋は、私にこう話した。今回の労働党勝利が何をもたらすにしても、準備不足のせいでうまくいかないなどということには、決してならない。

おかげで財務省に至っては、史上初の女性財務相の到着を予期して、財務相専用のトイレに昔からある小便器を片づけたらしい。利便性のためのよくある話、ではないと思う(ごめんなさい!)。

レイチェル・リーヴス新財務相は、スターマ��新首相のチームの中でも特に目立っている一人だ。ほかにも、ウェス・ストリーティング保健・社会福祉担当相やブリジット・フィリップソン教育相といった人たちはいずれも、もう何カ月も前から、政権を担う準備に深くかかわっていた。

各省庁の幹部と、それぞれの所管の「影の大臣」たちはかなり前から話し合いを重ねていた。スターマー氏とチームの一部は、COBRA(内閣府の危機管理対策室)会議や安全保障関係のブリーフィングに常に出席していた。

そのうちの一人は今回、入閣している。そして私に、「すでに各省の事務次官や高官たちと、親しい関係ができている」と話した。

元公務員のスー・グレイ氏は、首相首席補佐官になる。彼女はすでに年明けから、国家公務員トップのサー・サイモン・ケイス官房長と、定期的に連絡を取り合っていた(訳注:イギリスの官房長は政治家ではなく、国家公務員のトップで、政権が交代しても変わらない)。

労働党党首がミッションとして掲げたテーマが、やがて具体的な政策として収斂(しゅうれん)されたのを経て、それぞれが政府の「実施計画」に落とし込まれていった。グレイ氏とケイス官房長は、毎日のように話をするようになった。

そこまであからさまではない支援もあった。保守党の閣僚経験者が少なくとも2人は、労働党の準備を手伝っていた。そのうちの一人は、最近まで閣僚だった人で、私にこう話した。「たとえばアメリカの大統領に提供されるような移行準備も何もないまま、1兆ポンド規模の予算を、政権交代でぽんと手渡してしまうなど、ばかげている」からだと。

政権構想

労働党は確かに圧勝したが、だからといってスターマー氏が掲げたミッションにもとづく労働党のマニフェストはそのままだ。圧勝したからといって、巨大で大胆で正体不明のものが取って代わったりしない。

「秘密は何もない」と、労働党幹部は私に話した。別の情報筋によると今回の選挙結果は、新首相の慎重姿勢がいかに正しかったか証明するものであって、圧勝したからといって「もっと急進的で大胆なアプローチ」が支持されたわけではないのだと、スターマー政権は受け止めている。

選挙結果がこれほど大きく変わったのだから、労働党はマニフェストをもっと大胆にしてもよかったのだと「証明された」などと、党内左派が主張しようものなら、スターマー政権は強力に抵抗するはずだ。党内には、イスラエルへの武器売却を速やかに中止するよう求める声もあるだろう。ガザ戦争でパレスチナ支援を掲げて出馬した候補者たちに、労働党が実際に議席を失い、失いそうになった選挙区もあるだけに、イスラエルに関する党内のそうした声は、今後緊急性を増していくはずだ。

党内からはこのほか、公共サービス保護の明確化を求める声や、児童手当の対象上限は子供2人までという現行の制限をいずれ撤廃するよう求める声、さらには複数の労働組合が首相官邸に定期的に出入りできるよう求める声など、さまざまな要求が出るかもしれない。しかし、圧倒過半数を得ていればこそ、慎重に策定したマニフェストと実施計画を練り直そうなどとスターマー氏が考えそうな気配はない。

むしろ新首相は選挙結果について、これは有権者が保守党を拒否したあらわれだという認識を示している。これまでとは異なるリーダーシップを国民が求めたのであって、はっきり言えば、これまでの保守党政権のような派手な立ち回りは勘弁してくれという、国民の意思表示だったと。

それでも、新首相のスタイルや、政権構想を何カ月もかけて徐々に構築してきた方法は、労働党が求めるいくつかの重要な変化とは矛盾している。労働党はかねて、労働者の権利拡大、都市計画制度の速やかな抜本的改革、そして国営エネルギー会社の設立などを、主張してきた。

新政権の閣僚たちはおそらく当面は、経済成長の実現をどう期待しているか、ひたすら話題にするだろう。これから数週間のうちに、複数の企業がイギリスへの投資を開始したり、政権交代を見越して保留していた投資が実際に届き始めたりするかもしれない。その場合、それはまったくの偶然ではないはずだ。

そしておそらくそう遠くない将来には、政府の独立経済監視機関、予算責任庁に、より大きな権限を与える新法案がまとめられるだろう。公共財政の大々的な点検をいつ行うか。これは、新しい財務相に求められる、最初の大決断のひとつになる。ぎゅっと奥歯をかみしめるような選択を、公共支出の見直しで迫られるかもしれないだけに。

各省庁への予算配分を伴ういわゆる歳出見直しは、年末に期限を迎える。 退屈な決定のように聞こえるが、とてつもなく重要な決定なのだ。

リーヴス氏は、保守党が作った既存の歳出計画をこのまま1年は続けて、その間にもっと長期的な支出計画を作り上げる猶予を確保するのか、それとも2024年末までに独自の見直しを素早く進めるのか、決めなくてはならない。この続報は、乞うご期待ということになる。

ぶれないように

労働党関係者は表向きにも内々にも、ただ選挙に勝つだけでなく、成果を出すため準備を万端に整えるべしと、繰り返してきた。

トニー・ブレア時代の「ニュー・レイバー(新しい労働党)」の教訓だと、今の労働党が肝に銘じていることがある。ブレア元首相は当時、変化のペースがあまりに遅すぎるといらだっていた。

今回入閣した一人によると、ブレア元首相に自分たちの計画を説明した際、元首相は「改革について、就任と同時に着手しなかったことを、自分は本当に深く後悔している」と話したのだという。

「キアはこの警告を、非常に真剣に受け止めている」と、新閣僚は私に話した。

組閣はすでに終わったが、政府ポストに就く労働党の下院議員や政府顧問、新しい貴族院(上院)議員は、ほかに大勢いる。たとえば、イギリスの新型コロナウイルス対策で重要な役割を担ったパトリック・ヴァランス前首席科学顧問は、科学・イノベーション・技術省の閣外担当相に任命された。

ブレア政権の保健相だったアラン・ミルバーン氏が、閣僚ポストではないまでも、保健省で重要な役割に就くという話を耳にした。公的医療・国民保健サービス(NHS)の診察待ちの長期化が深刻化する中で、事態解消の取り組みに参加するのだという。ほかの省庁や人事でも、興味深い名前が挙がるかもしれない。

労働党はこれまで、準備を重ねてきた。経験もある。しかし、実際に受け取った権力と責任は巨大だ。

新しい首相をこれまで何人も迎えてきた政府関係者は、私にこう話した。「最近の選挙戦はあまりに果てしないので、ついに首相になった時点で、もう疲れ果てている。その状態で着任する。高揚している。組閣する。これは新首相にとって、素晴らしい瞬間だ。けれどもそれが終わると、自分のように不機嫌な顔の人間がやってきて、『ではそろそろ、この世の終わりについて相談させてもらっていいですかね』と言われるんだ」。

イギリス政治はもう何年も、甚だしいまでに混乱を極めた。そのあとに自分たちが与党になった今、自分の政権は本当に具体的な成果を出しますと、スターマー首相は急ぎ国民に示そうとしている。しかもそれだけではなく、首相はこうも助言している。つまり、初当選した実に大勢の新人議員たちは今のうちは何かと前向きなのだから、それを最大限に活用するべきだと。下院の労働党議員団がいずれ、どれだけ先のことだとしても、否応なしに、準備運動を始めるので。その前に、新人のやる気を有効活用しておくようにと。

とある労働党元顧問によると、首相は「急いで! 早く! 新人がトイレを見つける前に!」、新人を味方につけるべきなのだという。

スターマー氏のチームが、候補者の質をコントロールしようと懸命に努力していたのは事実だ。そして、首相に忠実な多くの新人議員が間もなく、入館証を手にして初登院する。けれども、これまで歴代の首相が経験してきた通り、ピカピカの顔をした新人はいつまでもやる気満々ではいられない。

問題と落とし穴

自分たちがこれほど圧勝するとは、労働党は少し前までは夢にも思っていなかったはずだ。けれども今週末がどれほど歓喜に満ちたものだったとしても、国を治めることに伴ういくつかの厄介な現実が消えてなくなるわけではない。

リーヴス新財務相はここ数カ月、マイクが近くにあれば必ずと言っていいほど、「第2次世界大戦以来、最悪の状態にある経済を受け継ぐ」ことになると警告してきた。イングランド北部リーズの自分の選挙区で再選が発表された際には、リーヴス氏は「(政府には)あまりお金がない」のだとも言った。

NHSの診察を待つ待機者リストは、とんでもないことになっている。刑務所は満杯だ。何百万もの世帯は、家計のやりくりに苦労している。今回の選挙を突き動かしたのは、何もうまくいかないという有権者の明確な感情でもあった。

何もうまくいかない。そう思うのは世間の感覚だけではない。中央官庁の高官は私に、「外から見えるよりも内側の実態の方が実は、はるかに悪い」のだと話した。

事態が実はいかにひどいか、自分たちはどう思っているか、どうやって国民に伝えるかを、労働党の閣僚チームはここしばらく話し合っていた。ストリーティング氏は保健相に任命されてすぐに、「今日からこの省は、NHSが壊れているという前提で動く」と表明した。

数々の問題はどれも一切合切、保守党のせいだと、労働党はそう言いたがるのだろうと、そういう疑い深い見方もあるかもしれない。

懐疑的な人は、労働党は問題をきっぱりと保守党のせいだと決めつけたいのだろうとも言うかもしれない。

ミッション

新首相自身はどうなのだろう?  スターマー氏はこれまでも必要とあれば、古い公約を破棄し、古くからの同僚も切り捨ててきた。そうする用意のある人だというのは、世間も気づいているし、もちろん首相に批判的な政治関係者も気づいている。

首相を支持する人たちにとって、これは強さの表れだし、これまで本人が痛い思いをしながら学んできたことなのだという。消息筋の一人によると、勝利への意欲を明確に重視し、勝利という優先事項の前には、党内一致を求める「吐き気のする」嘆願など切り捨てろと、それを教訓としてスターマー氏は学んできた。

スターマー氏が何を信じているのか、その真相を知るのはなかなか難しい。私が初めて面と向かってじっくり取材した時と、今とで、それは変わっていない。彼は当時、党首を目指していた。労働党の政権奪還という彼の目的は当時は、かなりの無理難題に思えた。

彼と彼のチームは「道徳的社会主義」という表現を使っていた。 この言葉は当時も今も、一般国民に受けるというよりは、リベラル系英紙ガーディアンの見出し用に作られたスローガンように聞こえる。

スターマー氏は当時、労働党と政治家は「良いことができる力、変化のための力」になれると、国民を説得したいのだと話していた。あれから4年たった今も、このフレーズは彼のたくさんのインタビューや演説に登場するかもしれない。イデオロギーを反映する大きいスローガンを今でも、彼の演説やインタビューの中に探しているなら。

動画説明, 【全訳】 イギリスのスターマー新首相、官邸前で演説 国民への奉仕と国の再建を強調

しかし、イデオロギー探しはもしかすると、的外れかもしれない。スターマー氏は子供のころから派閥政治にかかわってきたわけではないし、学生自治会の選挙でのしあがってきたわけでもない。党大会に何十年もかかわったり、何か特定の政策の純粋性について熱烈に議論したりしてきたわけでもない。

彼の支持者にとっては、イデオロギー色がないことこそスターマー氏の強力な長所だ。「これまでで一番普通な(労働党の)首相になる」と、関係者の一人は話した。スターマー氏はどの派閥にも属していない、彼は党に属しているのだと、閣僚の一人は私に言った。「彼は党のものだ」と、この新閣僚は言う。

では今後、スターマー氏がリーダーとして、そういう直接的な結びつきを国民に感じさせられるのかというと、それはかなり野心的で不透明な目標だという感じがする。

スターマー氏は時に、トニー・ブレア氏のまねをして、「国の再生」と自分が呼ぶもののために「政治を国民への奉仕に戻す」と表明する。しかし、ブレア氏が1997年に大勝した時点で個人として絶大な人気を集めていたのと比べて、今回の圧勝をもってしても、スターマー氏自身がそれほどの人気者になれるのかどうか。現時点ではその様子はほとんどない。

2期目?

現代の有権者は驚くほど変心しやすい。スターマー氏はそう確信している。だからこそ、2019年の前回総選挙での大敗から、労働党は必ず挽回できると、スターマー氏はそう信じることができたのだ。

支持政党の変更に、実に多くの有権者が前向きだった。その姿勢は今回の選挙では、スターマー氏に味方した。しかし、その移ろいやすさが今後も続くなら、今度は首相の足をひっぱりかねない。

いずれ、あるいはもしかすると間もなく、労働党はスターマー政権の長期化に向けて内々で作戦を練り始める。スターマー首相はすでに、自分の目標は「再生の10年」だと表明しているだけに、その実現に労働党は取り組むだろう。

従来のあらゆる尺度で言えば、これほど圧倒的な過半数を獲得した首相は、確実に二期を務められると安心していられたはずだ。しかし2024年の現時点で、それはあまり確かな感じがしない。

労働党は今のところ、今回の勝利を大いに祝っている。野党の無力感は終わった。また負けたという苦しみも、もう味わわなくていい。新首相はもはや「雷のような顔」をしなくて済むし、自分は蚊帳の外だと歯噛みすることもない。

これまでさんざん待たされたのだ。5日のダウニング街で目にしたように、新首相は笑みを浮かべることを自分に許してもよいはずだ。