FASHION / TREND & STORY

「価値観を覆すような進歩的な人に惹かれる」──キム・ジョーンズが語るデザイン哲学。

小説『ハワーズ・エンド』に登場しそうなイギリス・サセックス州にある18世紀に建てられた牧師館が、フェンディで改革を進めるアーティスティックディレクター、キム・ジョーンズが週末を過ごすカントリーハウスだ。若きジョーンズに多大なる影響を与えた20世紀初頭に活躍したイギリスの芸術集団、ブルームズベリー・グループの拠点でもあったその土地で、ジョーンズはデザイナーとしての半生を振り返った。

藤のつるに覆われたレンガ造りの牧師館を見つけたジョーンズは、郊外にセカンドホームを構えた。番をしているのは愛犬ローラ。

フェンディ(FENDI)でウィメンズコレクションのアーティスティックディレクターを務めるキム・ジョーンズ。彼は14歳という多感な時期にファッションの世界に魅了され、同時に前衛的な芸術家や知識人のインフォーマルな集まりだったブルームズベリー・グループと衝撃的な出会いをしたという。

ジョーンズがブルームズベリー・グループに興味を持ったきっかけは、サセックス州のチャールストン ファームハウスを中学校の遠足で訪れたことだった。そこは、20世紀初頭にイギリスの芸術や思想に大きな影響を与えたブルームズベリー・グループの縦横無尽な創造性を築き、あらゆる才能が交差する場となった家だ。若きジョーンズは、当時さまざまな柄や色が折り重なる家の装飾に刺激を受け、生い茂った緑と鮮やかな彩りで知られる庭でスケッチをした。今のジョーンズの言葉を借りれば「たくさんの人たちが一緒に住み、自由な暮らしを送っていた」という事実が、学生の彼を感動させたらしい。ジョーンズはこう語る。

「進歩的で、世間の生き方を変えるような人に私は惹かれます。だから自分もそれを体現したいと常に思ってきました。他の人がどう思うかは関係なく、自分が思うように生きたいんです」

フェンディの改革を任されたジョーンズは、ブルームズベリー・グループに倣ってブランドの伝説的なアトリエを支えてきた職人たちのほか、音楽家、芸術家、ミューズなど、分野を超えてさまざまな人とコラボレーションを行ってきた。そんなジョーンズとファッションの出合いは、姉から譲り受けたイギリスの雑誌『i-D』の貴重なバックナンバーコレクションが始まりだった。

音楽とアート、ファッションが融合し、クリエイティブな火花を散らしていた1980年代のロンドンに誕生した、革新的でアナーキーなトレンドメーカーだった同誌は、ジョーンズ自身のデザインにおけるシナジーと重なる部分もあり、今も彼はこの時代を崇め続けている。リー・バウリー、レイチェル・オーバーン、クリストファー・ネメス、ミスター・パール、ヴィヴィアン・ウエストウッド、そして故ジュディ・ブレイム(コラボレーションを重要視するジョーンズは、過去にルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)のメンズウェアでジュディとコラボしている)といった〝破壊的〞デザイナーたちの作品は、彼の比類なきコレクションとして大切に保管されている。

「センスがいいわね。入れてあげる」

自宅でくつろぐキム・ジョーンズ。

ジョーンズは「キャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツ」でグラフィックデザインを学んだが、この科目があまりにも平面的だったと思い返す。世界を創るようなことをしたい──そう感じた彼は、「セントラル・セント・マーチンズ」のMAファッションコースを率いる、ルイーズ・ウィルソン教授の元を訪れた。要求の厳しさと容赦のなさで有名だったウィルソンは、アーデム・モラリオグル、クリストファー・ケイン、メアリー・カトランズ、シモーン・ロシャ、ジョナサン・サンダースなど、数々の著名デザイナーを育てた名物教授だ。ジョーンズのポートフォリオを見た時のウィルソンを、ジョーンズはこう回想する。

「タバコをひと吸いしてから、『センスがいいわね、コースに入れてあげる』と言ってくれました。ルイーズのおかげで、自分を信じることができたんです。それで勇気を持てました」

その後、2014年に彼女が早すぎる死を迎えるまで、2人はよき友人でもあり続けた。「ファッションには、写真、映画、音楽、その他すべてのものが含まれ、すべてが結合します。それが好きなんです」とジョーンズは言う。

2001年、ジョーンズはリサイクルジーンズをたくさん用いた、パンキッシュなコレクションを携え、大学を卒業した。その時のコレクションの半分を、ジョン・ガリアーノが購入したという。そしてジョーンズは自分のファッションレーベルを立ち上げ、2008年には「眠れる森の美女のような」と当時ジョーンズが形容したダンヒル(DUNHILL)のクリエイティブディレクターに就任した。その功績が高く評価され、英国ファッション協会から2つ目の「メンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤー賞」が授与された。世界中のラグジュアリーブランドから注目を集めていたジョーンズは、2011年にはワンダーラストなDNAを脈々と受け継ぐルイ・ヴィトンのメンズウェアのクリエイティブディレクターに抜擢された。

好奇心がいいデザインを生む。

裏側にある窓からは外をのぞくことができ、両開きの美しい扉から通りに出られる。

ジョーンズの父マイケルが水文地質学者であったこともあり、幼少期にはエクアドル、ボツワナ、タンザニア、エチオピア、ケニア、カリブ諸島を家族で転々とした。こうした経験が、ジョーンズの世界観を築き上げている。

「いいデザイナーは、世界を旅し、いろいろなものを見て回る好奇心を持っている。それを通して、自分が何をすべきなのかがわかってくるんです」

2018年にはディオール オム(DIOR HOMME)のクリエイティブディレクターとなり、瞬く間に多くの人々から支持される存在となった。そしてその活躍はとどまるところを知らず、その2年後にはロックダウン真っ只中のイタリアから、フェンディのディレクターに就任するオファーが舞い込んだ。ビッグメゾンの兼任は世間を驚かせたが、当人はその反響をよそに、まったくためらうことなく引き受けたという。「違う仕事をこなすというだけのこと」と、仕事が多岐にわたることは、彼にとって大した問題ではないようだ。文化や背景も異なるが、頭の切り替えができているのだ。

ジョーンズは、アクセサリーとメンズウェアのクリエイティブディレクターであるシルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディと、その娘のデルフィナ・デレトレズとともに、新生フェンディを創り上げている。

「彼女たちは生きる国宝であり、フェンディの百科事典のよう。ハウスの個性に敬意を表し、彼女たちが誇れるようなコレクションを生み出すことが、私にとって一番大切なことです」���ジョーンズは言う。

ラガーフェルドと重なる物語。

ヴァージニア・ウルフの姉であるヴァネッサ・ベルによる人物画。ダイニングルームにある石造りのマントルピースの上に飾られている。テーブルはロジャー・フライの作品(1915年製)。

1925年、フェンディはデレトレズの曽祖父母であるエドアルドとアデーレ・フェンディ夫妻によって、プレビシート通りのデパートに店を構えた。毛皮とレザーバッグの専門店として始まった。65年に夫妻の5人の娘たち(パオラ、フランカ、カルラ、アルダ、そしてヴェントゥリーニの母アンナ)がその先見の明を発揮し、若い雇われデザイナーだったカール・ラガーフェルドをクリエイティブディレクターに起用したことで、ブランドの世界的なステータスが急上昇した。「彼に不可能はなかった」とヴェントゥリーニはラガーフェルドを評している。

遊び心を毛皮に宿すラガーフェルドは、ファッション界に次々とイノベーションを起こし、夏のファーは市場を刷新した。現在のフェンディは、ヴェントゥリーニによるアクセサリーを中心に据え、ジョーンズはファッションの転換に力を入れる。リアルファーを使用することは減り、できる限り資源を再利用しているという。

ハウスのアーカイブには、ラガーフェルドによる7万点の作品が資料として残されており、半世紀以上にわたって創られてきたデザインを今に伝える。

「どうして自分がここにいるのか不思議に思います。カール・ラガーフェルドのような人の仕事を自分が引き継ぐことになるとは想像もしていませんでした──これ以上の賛辞はありません」

そうジョーンズは感慨を抱く(ウィルソンのように、ヴェントゥリーニも長年デザイナーの才能を発掘してきた伝説的な存在だ。フェンディスタジオの出身者には、アレッサンドロ・ミケーレマリア・グラツィア・キウリピエールパオロ・ピッチョーリ、ジャンバティスタ・ヴァリなどがいる)。

家族であり、アウトサイダーの集まり。

ダイニングルームにはヴァネッサが1913年に制作した衝立のリプロダクト品が飾られている。

「フェンディの物語には常に複数の女性と一人の男性が登場します」

そう語るヴェントゥリーニは、母やその姉妹たちとラガーフェルドの関係を思い返す。

「ジョーンズとデルフィナを見ていると、昔見た魔法のような共鳴と重なります。ジョーンズは家族のような深い友情を築く天才です。そしてその家族のような絆こそ、他のブランドとは一線を画すフェンディの象徴でもあるんです」

シャネル(CHANEL)とフェンディで数十年間ラガーフェルドの活躍を支えてきたスタイリスト兼ミューズであるアマンダ・ハーレックは、現在ジョーンズとともにフェンディでコラボレーションしている。そんな彼女は、ジョーンズのことをこう評す。

「彼はチーム全員が発言できるような環境を大切にしています。だからより自由でクリエイティブなエネルギーが生まれ、セットや音楽、照明など、皆が最高のものを創ろうとする空気が自然と醸成されているのを感じます」

ラガーフェルドとジョーンズの共通点を尋ねると、「エネルギー、精密性、戦略、事典のような記憶力」とハーレックは即答した。

その評価の通り、「仕事ではスタッフに自主性を与えることを大事にしている」とジョーンズは言う。彼のチームには、新進気鋭の若手から、16年間ともに仕事をしてきたジョーンズの「右腕」と彼が称するルーシー・ビーデン、4歳の時からの幼なじみでありセント・マーチンズの卒業制作以降ともにキャリアを歩んできたサイモン・パリスまで、さまざまなメンバーがいる。

「私たちは共生しています。一緒に旅行するし、多くの時間を共有しています。家族のような存在なのです。アウトサイダーの集まりだけど、みんなファッションスクールに初めて通った日から、自分が何を目指しているかちゃんとわかっていました。それが、ファッションの世界の面白いところでもあるのです」とジョーンズは語る。

女性は歳を重ねるほどに美しい。

緑あふれる庭。

2021年秋冬シーズン、ジョーンズ率いる最初のレディ・トゥ・ウェアコレクションは、デルフィナや彼女の家族が着ている服がインスピレーションとなった。また、彼がそれまで関わってきたさまざまな世代の女性たち──デミ・ムーアからケイト・モス、その娘のライラ・グレースまで──の姿もショーに投影されているという。フェンディでのデザイン哲学について、ジョーンズは次のように語る。

「知性的で、強く、自立した女性たちがテーマです。女性は年齢を重ねるとともに、ますます美しくなっていきます。おそらくそれは、その人から放たれる自信でしょう。僕はさまざまな年齢の女性たちを讃えたい。コートニー・ラブリリー・アレンなど、いつも私に過分なる関心を寄せてくれる彼女たちは、皆、私のかけがえのないサポーターです。大好きで、尊敬している人たちに服を着てもらえるということがとてもうれしく、ワクワクします」

2021年春に発表したフェンディのオートクチュールコレクションは、ファッションとブルームズベリーの融合であり、まさにジョーンズの世界観が表れていた。

垂涎もののコレクション。

ダンカン・グラント制作の小さなテーブルの上に置かれたジャン・ジュネの『花のノートルダム』とジェイムズ・ボールドウィンの『Just Above My Head』の初版本。

彼のコレクションはすべて一曲の音楽から始まる。だが、このコレクションでは「スポークン・ワード」を基調に、ヴァージニア・ウルフが上流階級特有のアクセントで「言葉、英語の言葉は、反響、記憶、関連性にあふれています──それは自然なことです」と詠唱するところから始まった。そして、ウルフが作家で園芸家のヴィタ・サックヴィル=ウェストと交わした情熱的な手紙を、ティルダ・スウィントンイザベラ・ロッセリーニ、クリスティー・ターリントン、ケイト・モスらが読み上げていった。

今回のコレクションは、ウルフが1928年に出版した小説『オーランドー』からインスピレーションを得ているという。何世紀もの時をやすやすと超え、性別さえ変えてしまう主人公は、ヴィタ・サックヴィル=ウェストをモデルにしているという。また、ジョーンズは自身の宝物であるブルームズベリーのコレクションでセットを飾った。ショーに訪れたゲストが自由に手にとって読めるようにと、自身の書斎からも本をいくつか持参し並べた。そして、世代を超えた友人やデルフィナを含むジョーンズのミューズたちとともに、コレクションは世界へとライブストリーム配信された。デルフィナはコレクションをこう振り返る。

「ジョーンズはハードワークの中にもユーモアを忘れません。繊細で皮肉のような表現が、フェンディにはいつもありますから」

ジョーンズを魅了した「完璧な家」。

グラントによる絵がデルフトタイルに覆われたマントルピースとよく調和している。

ディオールでの仕事を継続しつつ、フェンディの改革に徹底して取り組むジョーンズ。タフな日々を終えた週末には、骨休めできるようなカントリーハウスを牧歌的なサセックスで探し求め、ついに最高の場所を見つけた。E・M・フォースターの小説から出てきたような、レンガとフリントストーンで建てられた美しい18世紀の牧師館だ。外壁には藤がつたい、芝生のクロッケーコートや、垣根に生い茂る草木などからはヴィクトリアン様式の名残を感じる。それに、ブルームズベリー・グループの人々が住んでいたヴィレッジもすぐそばだ。

「完璧だった。愛犬(デクスター、ルールー、ローラ、クッキー)にプライバシーを与えられるだけの広さもあり、離れもある」

元からチョークホワイトで塗られていた内壁をジョーンズはあえて残している。明るく、穏やかで落ち着くところが気に入っているそうだ。床には都会的な真っ白いカーペットを敷き詰め、部屋に置く家具は最小限にとどめた。完璧主義のジョーンズはこう打ち明ける。

「ミニマルな部屋のほうがよく眠れるんです。散らかっていると眠れません」

落ち着いた内装は、彼が収集したいくつもの品を引き立たせる。それにしても、垂涎もののコレクションばかりだ。「1910年から30年はいろんなことが起こり、物事が急速に、激しく変化した時代です。特に僕が興味を持っている絵画の世界では」とジョーンズは言う。ダンカン・グラントが第一次世界大戦の開戦前夜に描いた、動的な迷彩色を思わせる「睡蓮の池」の衝立が飾られ、同様の手法で表面を塗った机や芥子菜の花が咲き乱れるオメガ・ワークショップス社製の椅子がダイニングルームに置かれている。がっしりとした石のマントルピースの上にはヴァネッサ・ベルの人物画が、人が集まれる広々としたキッチンにはベルが妹のヴァージニア・ウルフのために絵付けした丸いティーポットが飾られている。ウルフは夫のレナードとともに近隣の村、ロッドメルに住んでいたそうだ。

ヴァネッサ・ベルとロジャー・フライが1912年頃に塗った机が置かれた書斎。

これとは対照的に、ジョーンズのロンドンの家は打ち放しのコンクリート、スチール製の金網、ガラスからなるブルータリスト建築だ。室内プールを備え、フランシス・ベーコンがデザインしたモダニズムのラグがタペストリーとして壁に掛けられ、存在感を放っている。ブルームズベリーの片鱗すらうかがえない。だがロンドンとサセックスの両方に保管されている蔵書には目を見張るものがある。ウルフからヴィタへの献辞が書かれた『オーランドー』をはじめ、履歴のはっきりした初版本も豊富だ(ウルフから愛するヴィタへと贈られた別の本には、真面目なことで知られるウルフの意外な一面が記されている。「この小説はおそらく私の最高傑作です」というメモが添えられたその本は、まったくの白紙なのだ)。

ブルームズベリーから着想を得た初のクチュールコレクション以降、ジョーンズのフェンディ作品はラガーフェルドとイラストレーターのアントニオ・ロペスの友情を描いてきた。そのきっかけとなったのは、ロペスによるフェンディのブラッシュストロークロゴを、ジョーンズがローマのパラッツォ・デッラ・チヴィタ・イタリアーナ(イタリア文明館)の地下アーカイブで発見したことだ(アイコニックなこの建物は、ムッソリーニが築く市内の新し��地区の顔として新しいローマ帝国の象徴となるべく建てられ、1943年に完成している。6階建ての建物はジョルジョ・デ・キリコが描いたようなトラバーチン製のアーチで覆われ、ネオクラシック様式の英雄の彫像に囲まれている。フェンディは2015年にローマでの拠点をここに移した)。

時空を超えたセンセーション。

寝室には、ソーン ブリテン(SOANE BRITAIN)のプリンテッドコットン製ソファとクレシダ・ベルがデザインしたラグ。

昨年7月、2022年春のレディ・トゥ・ウェアコレクションの初回フィッティングを見るために文明館を訪れ、その後9月にはミラノのフェンディ本社に赴いた私は、1976年にヒットしたキャンディ・ステイトンの「ヤング・ハーツ・ラン・フリー」と、79年にヒットしたブロンディの「ハート・オブ・グラス」をBGMに、ロペスの愛したパット・クリーブランドやジェリー・ホールといったスターを思わせるスタイリングで颯爽と闊歩する女性たちを見た。

ジョーンズはファッション界で数々のモーメントを誕生させている。2017年秋冬シーズンの、ルイ・ヴィトンとシュプリーム(SUPREME)のコラボレーションはセンセーションを巻き起こし、初のディオールコレクションは、アーティストのKAWSが7万本の薔薇と芍薬から創った巨大な花の像の周りをデンマークのニコライ王子が巡ったことで大きな注目を集めた。また、ロペスから着想を得たエキサイティングなフェンディのコレクションを発表した4日後には、ヴェルサーチェ(VERSACE)とのコラボレーションをミラノファッションウィークで緊急公開すると発表し、またもや話題を独占した。ディナーテーブル越しに実現した、「フェンダーチェ」の愛称で親しまれる当コレクションについて、ジョーンズはこう振り返る。

「自分の会社について熟知しているドナテッラとシルヴィアには感銘を受けます。これこそが、イタリアのファッション名家の女性たちが持つ連帯感です」

時空を自由に行き来する想像力。

キッチンのテーブルの上にはボルダロ・ピニェイロ、ヴァネッサ・ベル、クエンティン・ベルによるさまざまな食器が並ぶ。

初のオートクチュールコレクションをバーチャルで発表したこともあり、次はライブで行うことにこだわった。2021年秋冬のクチュールショーでは、パリの左岸にある18世紀の邸宅でのインスタレーションを公開した。ローマのモザイクタイルフロアを模してファーの細かな破片をちりばめたボレロジャケットや、オーストリッチフェザーを1枚ずつあしらったシーフォームのボールガウンがゲストの目を楽しませた。シフォン素材のウイングトレーンをそよがせたグラデーションカラーのドルチェヴィータ・カクテルドレスは、その後11月に、ロイヤル・アルバート・ホールでデミ・ムーアがジョーンズに3度目の英国ファッション協会の「デザイナー・オブ・ザ・イヤー賞」を手渡す際に着ることとなる(ジョーンズはこの賞を、その前日に亡くなった友人ヴァージル・アブローに捧げた)。

今年1月、パリの旧証券取引所内に古代ローマと近未来的な世界観を融合させた演出で、2022年春夏のオートクチュールコレクションを発表した。ショーの2日前、私は彼に電話をかけた。スタジオのスタッフがこぞってコロナに感染したため準備が遅れ、「まさにナイトメアー・ビフォア・クリスマスだ」と打ち明けられた。それでもオートクチュール特有のミラクルが起こり、ジョーンズの持つローマのヴィジョンを具現化した30のルックは次々と完成していった。修道院風のローブ、フェンディのパラッツォを固める彫像に着想を得たイメージを手作業で描いたトーガといった歴史的な要素を軸に、クライアントが求める現代的なミニスカートが登場し、新旧入り交じるパリンプセスト(羊皮紙に上書きした写本)のようなショーとなった。

「ここのところ、時間と空間について考えることが多い。フランク・ハーバートのSF小説『デューン 砂の惑星』やジョージ・ルーカスが生み出した『スター・ウォーズ』など、SFにはまっています。過去と現在と未来を頭の中で旅するのが好きなんです」

Photos: Simon Upton Hair & Makeup: Ben Talbott Text: Hamish Bowles Translation: Umi Osakabe