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映画が描くアジア系移民の表象と変遷【MY VIEW│竹田ダニエル】

2018 年の世界的ヒット作『クレイジー・リッチ!』を皮切りに、アジア系移民を描いた物語が映画界を席巻している。自身もアジア系移民としてアメリカに暮らす筆者は、なぜ話題の新作『パスト ライブス/再会』(公開中)で号泣したのか。そして多くの映画がアジア系移民を描くことで起こりうる変化とは?

ヒットを連発する、アジア系移民の物語

アメリカでは昨年『Joy Ride』(日本未公開)や、『パスト ライブス/再会』(4月5日公開)も大きな話題に。Photo: © Lionsgate / Courtesy Everett Collection

2018 年の『クレイジー・リッチ!』、19年の『パラサイト 半地下の家族』、20年の『ミナリ』、21 年の『ドライブ・マイ・カー』、22 年の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、そして23年の『パスト ライブス/再会』─たった数年のうちに、数多くの「アジア系が主演の映画」が賞レースを席巻し、ハリウッドを中心とした映画業界において強い存在感を放っている。なかでも「アジア系移民」の物語を描いた作品は『クレイジー・リッチ!』の世界的成功を機に、注目度を増している。アメリカでは、最も人種的に多様であるZ世代がカルチャーに対して大きな影響力と購買力を持ち始めている。2 年連続でアカデミー賞の俳優部門にノミネートされた20人が全員白人だったことで「#OscarsSoWhite」という抗議のハッシュタグが生まれた2016年に比べると、多種多様な属性のストーリーを表現することで良い作品が作れること、興行的ヒット作も生み出せることは何度も証明されてきた。

昨年のSAGアワードの受賞スピーチで俳優のジェームズ・ホンが「(70年前には)アジア系は実力が足りないし、興行成績もよくない」と侮辱された経験を話したが、アジア系の役を白人が演じる「イエローフェイス」の問題がここ最近まで根強く残っていたように、アジア系に対する業界、さらには社会全体のステレオタイプ意識や差別意識は「作られる映画」にも反映されていた。近年でも21年の“Stop Asian Hate” ムーブメントを経て、改めて、アジア系のストーリーが描かれないということは、社会で彼らの「存在」が可視化されないということでもあると、たびたび議論が起こっていた。加えて、実力のある俳優であってもアジア系であるというだけで、脚光を浴びる機会(役を得る機会)がそもそも制限されるという構造は、残念ながら今でも続いている。だからこそ、アジア系が「自身のストーリー」を描き、共鳴する客層に届けるシステムで成功を収め続けることは非常に重要な意味を持つ。

『パスト ライブス/再会』で号泣

昨年、『パスト ライブス/再会』を映画館で観た(※米国では昨年公開)。映画が終わる頃にはマスクがびちょびちょになるほど号泣して、これほどまでに、残酷で素敵で美しい「運命」を描いた作品があっただろうか、と胸を打たれた。アメリカ、そして韓国の両方の国での思い出やそれに紐づくアイデンティティに引き裂かれる主人公の葛藤に、私は強く共感したし、アジア系の役者が韓国語を喋っていても作品として広く愛されていること自体にも感動した。ストーリーの根幹にある「韓国の移民の苦悩」の視点は、『ミナリ』や『ソウルに帰る』でもそれぞれ描かれたが、親の都合で「強く」なければいけなかった少女の、インナーチャイルドが抱えた傷と振り返れなかった過去など、セリーヌ・ソン監督自身の経験を反映した描写は、マイノリティ当事者の経験でありながらも、多くの人の心を動かした。

『クレイジー・リッチ!』の世界的ヒットを皮切りに、多くの“アジア系移民”をステレオタイプな“アジア系”としてではなく豊かに描き上げた映画作品の快進撃が続く。Photo: © Warner Bros. Pictures / Courtesy Everett Collection

アジア系移民としてアメリカになじめたと思っても、やはり「過去の人生」や「国境、世代を超えたアイデンティティ」が付き纏ってしまう。作品中、何度も「韓国人らしさ」がチクチクと刺さるようにモチーフとして登場するが、その鋭さにハッとする。監督自身の経験や昨今の移民物語の急速な普及が、それを可能にしている。

映画をはじめとしたエンターテインメント作品は、それを観る人のアイデンティティ形成に大きな影響を与える。私が子どもだった頃にはなかったようなストーリーの描写や属性の表象などが、今では当たり前のものとして多種多様に存在している。例えば自分がティーンだった頃には「アジア系のポップスター」的な存在はほぼいなかったが、今の大学生たちに「好きなアジア系のアーティスト」を挙げてもらうと、K-popをはじめ、レイヴェイやオリヴィア・ロドリゴ、88risingのジョージやミツキなど、ジャンルの垣根を越えてさまざまなアーティストが世界的に活躍している。アジア系のカルチャーはよくわからないしカッコ悪い、なんていう時代から変化しているのだ。

アジア系のステレオタイプの崩壊

昨年公開された『Joy Ride(原題)』は「真面目でガリ勉なアジア人」というステレオタイプに真っ向から対立する、ダメダメなアジア系の主人公たちのユーモラスで「下品」なコメディ作品として大いに話題になった。「アジア系の家族あるある」を軽やかにジョークに交えつつ、ジェンダーや人種問題など、シリアスなテーマにも真摯に向き合っている作品だ。ほかにも、Netflixの配信で人気だった『いつかはマイ・ベイビー』や『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』などのラブコメ映画、ピクサーの『私ときどきレッサーパンダ』も、「アジア系」というアイデンティティをそれぞれの手法で豊かに描き上げ、マイノリティの経験を「価値ある重要なもの」へと昇華している。 もちろん、このようにアジア系の物語を描いた作品がこれまでも決して作られてこなかったわけではない。1982年に公開された『Chan Is Missing』は「アジア系アメリカ人映画運動」と呼ばれる独自の映画製作の潮流の先駆けとなった長編映画だといわれており、1980年代初頭のサンフランシスコのチャイナタウンにおける多様なアジア系アメリカ人の共存を忠実に描いている。

移民に関する法制度や世界的な社会情勢の変化が作品やその評価に強く反映される映画とは、常に政治的であるともいえる。今まで光が当たらなかった人々のストーリーが映画を通して描かれることで、彼らの物語に共感が集まり、その経験が可視化されていく。そしてその作品を観て育った人々はまた新たな芸術を生み出し、新しい価値観を持ったアジア系アメリカ人の新世代を構築していくのだ。

Profile
竹田ダニエル
カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、リアルな発言と視点が注目されるZ世代ライター、研究者。日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。X(旧Twitter): @daniel_takedaa

Text: Daniel Takeda Editor: Yaka Matsumoto