マーティン・スコセッシ、映画人生を語る──「自分がいったい何者なのか突き止めなければ」

80歳にして、キャリア何度目かの絶頂期を迎える映画監督マーティン・スコセッシ。新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の公開を控えるレジェンドは今、残された時間で自分にできることに向き合っている。
マーティン・スコセッシ、映画人生を語る──「自分がいったい何者なのか突き止めなければ」

過去何年にもわたって、マーティン・スコセッシは自らにこう問いかけてきた。「歳を取ったらどうなるのだろう?」。子どもの頃に喘息を患っていたスコセッシは、大人になってからは不節制な生活がたたり、30代で入院を余儀なくされるほど心臓を悪くした。死への不安は、いつでも彼の人生を脅かしてきた。それは彼の映画にも影を落とし、暴力や思いがけない最期が幾度となく描���れてきた。とはいえ、「歳を取ったらどうなるのだろう」という彼の問いは、死にまつわるものではない。それは「どんな仕事ができるだろう?」という意味であり、「どれだけの深みを追求できるだろう」という自身への問いかけなのである。

今年11月、スコセッシは81歳になる。1967年のデビュー作『ドアをノックするのは誰?』以来、彼は目立った休止期間もなく活動を続けてきた。その過程で彼は薬物依存症、4度の離婚、作品の批評的および興行的失敗、アカデミー賞での13度の敗退を経験した。彼のつくった長編映画およびドキュメンタリーは良作どころか傑作揃いで、作品名を挙げればきりがない。『ミーン・ストリート』、『Italianamerican』(原題)、『タクシードライバー』、『ラスト・ワルツ』、『レイジング・ブル』、『グッドフェローズ』、『カジノ』、『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』、『ディパーテッド』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』、『沈黙 -サイレンス-』、『アイリッシュマン』──。ここで一つ、私からの問いがある。70年代以降のすべての年代で誰よりも優れた映画をつくってきた監督がいるとすれば、それはスコセッシだろうか。おそらく、そうではないだろう(彼のゼロ年代の作品群について、私はやや弱いと考えている)。しかし、そう主張する人がいてもおかしくないし、実際に多くの人がそう答えてきた。それでも彼の脳裏には、自身の才能は果たして持続するだろうか、という疑問があった(「歳を取っても、まだ成長できるのだろうか? 同じ映画をつくり続けるのだろうか? 同じ映画をつくり続けるとしたら、それは悪いことなのだろうか? 私は、いつもそれが疑問でした」)。

スコセッシは今も旅の途上にあり、彼の物語は終わっていない。しかし、今の彼は老いが何を意味するのかを知っている。歳を取るとは、自らを削ぎ落としていく無限のプロセスであり、何かにこだわることをやめるということである。それは、苛立ちを捨てることであり(「今の私は、いつ死んでもおかしくない歳です」)、有力者とともに老舗イタリア料理店Rao’sを訪れるのをやめることであり、他人との付き合いに気を揉まず、人の意見を気にしないことなのだ(「だからと言って、助言をはねつけたり議論や主張をしないという意味ではありません。しかし、ある時点で自分のやりたいことははっきりしているはずです。そして、それ以外にないこともね」)。また、行ったことのない場所をいずれ訪れるかもしれないという考えを捨てることであり、映画には序盤、中盤、終盤があるという考えを捨てることでもある(「全編が中盤でもいいでしょう?」)。

映画芸術科学アカデミーの見解を気にせず、ハリウッドの一員であるというつもりでいるのをやめること(「どのみち、自分の居場所のように感じたことはありませんからね」)。『ケープ・フィアー』でのアクションシーン、ポール・ニューマン主演の『ハスラー2』の時のように、実験的であろうとして実験するのをやめること(「長年そういった試みをしてきましたが、もう過去のことです」)。自己正当化をやめること──もしかしたら、これがいちばんの難題かもしれない。自分がつくっている作品を、純粋な表現にすること(「無駄を削ぎ落とし、人々の期待に応えようとしないことです」)。

「私はただ、この映画が……好きなのです」

先日、スコセッシは自身の最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を全編通して鑑賞した。彼が2017年から制作してきた本作は、1920年代にアメリカ先住民オーセージ族が見舞われた数々の不可思議な死を扱ったデヴィッド・グランによるノンフィクション『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を原作にしている。206分に及ぶ本作の上映時間は、監督自身にさえある種のコミットメントを要求する長さだった。最近のスコセッシにとって、時間を見つけ、頭の中を整理し、日々直面する多くの不安を拭い去るのは、必ずしも容易なことではない。「私にはいろいろ気に掛かることがありました」と、彼は言う。「言われているように私ももう歳ですし、それに家族のこともあります。それでも完成した映画には目を通さなければなりません。音響をチェックするためにも。それが相当な時間だということはわかっていました。どうすればいい? どうしたら集中できるだろう? とね」

そして彼は映画を再生した。「それで映画が始まると、私は……ただただ観てしまったのです」。本作は愛と欺瞞、欲望を描いた、長い悪夢のような映画だ。米・オクラホマ州オーセージ郡にやってきた不真面目な復員兵をレオナルド・ディカプリオが、彼に仕事を与えるおじをロバート・デ・ニーロが演じる。地元の先住民オーセージ族の人々は、最近発掘された石油のおかげで潤っているかのように見えたが、そこには裏があった。ディカプリオのキャラクターはリリー・グラッドストーン演じる部族の女性と結婚することになるが、やがてオーセージ族の人々に死者が出始める。本作は暴力的で悲しく、観る者の怒りを呼ぶが、ときに笑いを誘いもする。言い換えれば、紛れもない“スコセッシ映画”というわけだ。そして、それはスコセッシ本人を夢中にさせた。仮に退屈な瞬間が紛れていようものなら、それをカットするチャンスだと彼は考えていたにもかかわらず──。「どういうわけだか私にもわかりません」と、彼は言う。「プロジェクトに携わって6年が経ちました。2017年からずっと、生活の一部でした。この映画には何かがある──私はただ、この映画が……好きなのです」

スコセッシは「無駄を削ぎ落とし、人々の期待に応えようとしないこと」にフォーカスしていると語る。


スコセッシはマンハッタンのミッドタウンにオフィスを構えている。同じ階には廃墟にも見える住宅ローンの会社があり、ヴィンテージの映画ポスターで飾られた広間では、数人の従業員が黙々と仕事をしていた。ある日、オフィスの給湯室に座ってスコセッシの到着を待っていると、はっとするような白髪の女性がやってきた。冷蔵庫からアイスティーを取り出し注いだその女性は、長年スコセッシの編集技師を務め、アカデミー賞を3度受賞したセルマ・スクーンメイカーだった。彼女は微笑んで自己紹介すると、再び編集室へと戻っていった。壁にはスパイク・リーの学生時代の作品『ジョーズ・バーバー・ショップ』のポスターが掛かっており、リーのサインとともに「マーティへ、親愛と敬意をこめて」と、シルバーのインクでスコセッシへのメッセージが書かれていた。

そこに大急ぎで到着したスコセッシは、ブルーのスポーツコートに身を包み、今まで見たことのないほど大きなサングラスをかけていた。「困ったことになった」と彼は言った。2日前、彼は緊急の歯科手術を受けたばかりだという。「大変な悩みの種です。近く、頭蓋骨まで診てもらわなくてはなりません」

彼は腕いっぱいにCDを抱えていた。「痛みはありますか」と、誰かが訊いた。

「ああ!」と、彼はいたずらっぽい動きをしながら答えた。

私たちは彼のオフィスに腰を落ち着けた。真っ白なシャツにスラックス、ブラウンのローファーを身に着けたスコセッシは、激しい痛みを抱えているはずにもかかわらず生き生きとしていた。インタビューの最初の部分を、彼はほぼ立ったまま応じた。あるとき彼が突然ソファから飛び上がったのにつられて、私まで立ち上がってしまった。「どこに行くのです?」と、彼は純粋に困惑した様子で私に尋ねた。

彼の後ろの窓からは、クイーンズボロ橋を車が行き来するのが見えた。スコセッシは饒舌なことで有名だが、ひとりでいることを好む。ここから数キロ南に下ったところで過ごした幼少期のせいかもしれない。「私はバワリーで育ちました。そこでの生活風景は(初期フランドル派の画家ヒエロニムス・)ボスの絵画のようでした」と、彼は話した。なるほど、現在に至るまで、彼の映画では驚くほど多くの人物が一つのフレームに登場することがある。街角で乱闘する男たちを映す『タクシードライバー』、冒頭で何百人ものエキストラの上をカメラが滑っていく『ニューヨーク・ニューヨーク』、どこまでも続く映画セットの人波をディカプリオが縫うように進んでいく『アビエイター』などが思い出される。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』にも、日々の営みを演じる大勢の役者、人混みをかき分ける仕草、家族でいっぱいの家など、そのようなショットが頻繁に登場する。

それは、いろいろな意味で、参加者ではなく傍観者の視点であると言える。ある出来事を、その外側からのみ見ている人物の視点だ。スコセッシはいつも自らの内に閉じこもり、映画を観ることを通して、人生を二次的にしか経験していないという誤解があるが、これは必ずしも正しくない(「もし“経験”していたとしたら? 私以外の誰にも関わりのないことでは?」)。しかし、そのような評判が彼に似つかわしいのは確かだし、事実として彼が経験した孤独な少年時代が根拠となっていることも無視できない。「映画を観ていたのは、喘息という病気からやむを得ないことでした」と、彼は言う。「それに孤独のせいもあります。今でもそうですが──。父と母はどうしていいかわからず、私を映画に連れて行ってくれたのです」

孤独について、彼は「今でもそう」だと言った。彼の妻、ヘレン・モリスは長年パーキンソン病を患ってきた。「家族との生活には相当に力を注いできました」と、彼は言う。「理解を示して、親切にも関わってくれるのはほんの数人です。昔はディナーパーティーなどを開いたものですが、そんなこともだんだん少なくなっていきました。だから、今の私はほぼひとりぼっちです。人と会うときは、決まってビジネス絡みです」

最近、知り合いと会った後の別れが新しい意味を持つようになったとスコセッシは言う。「数週間前、ここで旧友に再会したときのことです。彼女とは1970年からの付き合いでしたが、もう何年も会っていませんでした。彼女が帰る頃には10分間、お互いをひしと抱きしめていました。もう二度と会えるかもわかりませんでしたから。でもよかったです。これで会っておくべき人が1人減りました」

彼は今ではほとんど旅行をしなくなった。昔から飛行機に対して抱いていた恐怖は、その理由の一つでしかない。もし彼を招待したいなら、プライベートジェットをチャーターするか、さもなくば、どうにか説得するしかないだろう。「特に行きたいところはありませんから」と、彼は言う。妻はもともとパリで育った。もしかしたらまた行ってみたいのでは? 「ロンドンには行きたいです。ただ、もう何度も行きました」。では、ロサンゼルスは? 「私の友人はもうほとんどいなくなってしまいました。今は新しい人ばかり。知らない人ばかりです。新しい街、新しい業界です。それはいいことなのですが、私には馴染めません。レオと一緒なら別ですが」

スコセッシは、今でも会うことがある数少ない仲間の名前を挙げ始めた。ザ・バンドのロビー・ロバートソンとは、彼らの最後のコンサートを記録した1978年のドキュメンタリー『ラスト・ワルツ』の撮影時に親しくなった(ロバートソンは今年8月、このインタビューのすぐ後に亡くなった)。ほかには、プロデューサーのリック・ヨーン、元タレント・エージェントのマイケル・オーヴィッツ、長年の仕事仲間であるアーウィンとマーゴ・ウィンク��ー夫妻、そしてサンフランシスコにいるジョージ・ルーカスとメロディ・ホブソン夫妻がいる。「たまに友人から声が掛かることがあって、そういうときには彼らのところへ足を運びますよ」。そうでない限り、彼はどこへ行かずとも満足なのだ。

スコセッシには3人の娘と2人の孫がいる。「それに、私は家族と過ごすのが好きですからね。彼女らとの時間から多くのことを学びました。ただ、私にとって重要なのは、私の居場所はどこか、ということです」。自身の問いに対するスコセッシの答え──それは仕事だ。「自分が制作する作品、そしてそれをどのようにつくるかということに、私は強い思い入れがあります」

スコセッシは30代のうちに、映画史上に残る傑作を7年間に4本も残した。『ミーン・ストリート』、『アリスの恋』、『タクシードライバー』、『レイジング・ブル』がそれにあたる。この頃の彼には明確なビジョンがあったが、1970年代後半にはそれがしばらく失われてしまった。度重なるパーティー遊びや、あてのない自分探しの果てに、彼は死に近づいたこともあった。「『ラスト・ワルツ』をつくったとき、ロビー・ロバートソンが私の家に越してきました。彼とはいい時間を過ごしましたが、私向きの生活ではありませんでした」

スコセッシは、ザ・バンドの音楽がどのようにつくられていたのかが知りたかった。「魔法がどこにあるのか、それが見たかったのです。ただ、そこにはライフスタイルの問題が絡んでくることがわかりました。それもパーティー三昧のね。パーティーは私の手に負えないものでした。私は自制する方法を知りませんでしたから。いっぽうで、私には“あっち側”に行ってみたい気持ちもありました。もっと深く入り込みたい、その果てに何が待っているのか知りたい、そう思ったのです。幸い、私は死なずにすみました」

その後の数年間、彼の作品からそれまでの純粋さやフォーカスの明確さが色褪せた。その時期のことを、彼は次のように話す。「外からの影響を受けやすくなったのです。気楽につくることができたのは『ミーン・ストリート』だけでした。誰に何と言われようと構いませんでしたからね。あの作品はそれで成功しました。『アリスの恋』も、ある程度はそう言えるでしょう。『タクシードライバー』は間違いなくそうですが、その成功は予期しないものでした。しかしその後、私は批評家がどう思うか、それにどう応えるかということに囚われ始めました。結局、私がはまった泥沼、私の意志の弱さは、私が自分の制作姿勢を曲げようとしたところにあったのです。それは、ほんの部分的にしかうまくいきませんでした。最終的に、それが『レイジング・ブル』に結実しました。あの作品で私が言いたかったことはただ一つ。私をほっといてくれ──それだけです。作品が気に入らない? 私にはどうしようもありません」

それでも『レイジング・ブル』は、少なくとも興行的にはあまり成功したとは言えなかった。そして、その後のスコセッシは何年ものあいだ、自分がつくりたい映画をつくるために奮闘を続けてきた。そのために、ときには自分がつくりたいわけでもない企画に手を染めたりもした。彼は、初期の作品にあった明確なビジョンを取り戻すことができたのはつい最近のことだったと話した。

では、80歳になった今も、35歳のときと同じ感覚でいられるのだろうか。まったくそんなことはない、とスコセッシは言う。「80歳にもなれば、人生も家庭も昔とは異なります。家族の状況が違いますから。子どもが生まれたばかりのときから子育てに関わるのは、最初の2人の娘たちのときにはやらなかったことでした」

スコセッシにとって、モリスは5人目の結婚相手となる。モリスとの間にできた娘、フランチェスカは23歳になった。「それまでの結婚は、どれもほぼすぐに破綻しました。相手とは今では親しくしていますが、そのときの私は……いるべきところにいませんでした。私が、です。彼女たちが原因ではありません。それに、家族も一人ずつ亡くしていきました。両親も、兄も、近しい人はほとんど。残っているのは、いとこ2人くらいでしょうか。母にはきょうだいが7人、父には8人いて、それぞれに子どもがいました。それがもう皆いないのです。『ギャング・オブ・ニューヨーク』の結末と同じです。街角で格闘をした彼らが埋葬され、その後、墓に草が生えていく。川の向こうでは建物が建ち始め、彼らが何者だったのか、彼らが何を争ったのかなど、皆忘れていってしまうのです」

人が生涯のうちに関わり、愛した人々──「彼らは悩み、多大な苦労を背負って、そして人生の終わりを迎えます。『それに何の意味があるのか』と思うかもしれません。意味なんてどうでもいいのです。ただ、自分の一生を生きるだけです。もし自分の人生を生きるのを拒否するなら、その選択もできます。しかし、人は存在する以上、その実存と向き合わなければなりません。私に変化があったとすれば、それだと思います。その気がなければ、もう必ずしもカメラを回さなくていい。私はもう、そういうことにはこだわらなくなりました」


直線的ではない語り口

スコセッシはこのとき、スクーンメイカーと一緒に映画作家コンビ、エメリック・プレスバーガーとマイケル・パウエルのドキュメンタリーを制作中だと話していた。2人は初期のスコセッシに大きな影響を与えた、彼にとってのアイドルである。彼らはやがてスコセッシの友人、また師となり、パウエルは1990年に死別するまでスクーンメイカーの伴侶となった。2人の手がけた作品からどれだけの長さを抜粋するかが、スコセッシとスクーンメイカーの課題だった。「それに、抜き出した映像が適切かどうかも見極めています。『潜水艦轟沈す』から『うずまき』までの修復が終わっています。これから『The Small Back Room』(原題)、『血を吸うカメラ』、『女狐』の作業に入る予定です」

彼はなぜこんなことを話しているのだろう。スコセッシの話し方には独特のくせがある。核心部分をよけたり、話を急ぎすぎたために戻したり──。彼はまた、引用元をはっきりさせることも忘れない。自身の論旨に関わることなら、映画や監督、個人的なエピソードまで何でも。それは、彼の映画そのものを思わせる語り口だ。映画は直線的に物語を語るべきか、という問いに、スコセッシは物語の始まりから順番に話を運ぶのが苦手だと答える。「直線的なストーリーテリングには身の毛がよだちます」。とはいえ、ラオール・ウォルシュやキング・ヴィダー、マイケル・カーティスなど、彼が敬愛する監督の多くがそのように物語を語ってきたのも事実だ。「それらの作品には敬服します。ただ、私にはできないということもわかっていますからね」

彼は、上記の監督たちとは違った、まったく新しい映画作家たちの影響下で青年期を迎えた。ジョン・カサヴェテス、スタン・ブラッケージ、シャーリー・クラーク、そしてフランス・ヌーヴェルヴァーグ、イギリス・ニューウェイヴの作家たちだ。スコセッシは「映画を刷新して生まれ変わらせることができると、彼らが気付かせてくれた」と言う。そして、アンディ・ウォーホルも。「ウォーホルは映画文法そのものを再定義することで、あるいはしようとすることで、それを成し遂げました。『スリープ』という作品では、眠っている男性を5時間、ワンショットで撮っています。『エンパイア』という作品もありました。言っておきますが、私はそれらが素晴らしい映画だと言っているのではありません。私が言いたいのは、彼は、“映画とは何か”ということを人々に再考させたのです」

話は脱線したが、彼が語っていたのは映画がいかに構築あるいは脱構築されうるかということだった。それは『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』が、多くのスコセッシ作品に共通した省略的、また挿話的な構造を持つという点に絡めた話だった。物語の形式よりも雰囲気を重視し、観客に与える情報を逸話や風景、キャラクターに担わせる──。「意図してのことではありませんが、私は自分がやりたかったことを言葉にはしませんでした。ただ、制作を始めたとき、自分が映画の中の世界を生きているような気がしたのです」と、彼は自身の最新作について話し始めた。「私は“そこ”にいて、彼らとともにその世界を漂っていました。彼らの世界に吸い込まれていったのです。映画の半ばで、私は観客にこう考えてもらいたいと思っています。『待てよ、こいつらはいったいどういう連中なんだ?』とね」

いったいどういう連中なのか。それは、邪悪な男たちである。スコセッシによれば、本作は愛と権力、裏切り、そして白人至上主義についての物語だ。白人コミュニティが他者の土地にやってきて、多くの場合暴力を用い、奪えるものすべてを組織的に奪っていく。「私が気づいたのは、それは1人や2人の人間によるものではない、ということでした」と、彼は言う。「誰もかれもが関わったことなのです。皆が関わったことなら、我々もその一員だと私は言いました。つまり、アメリカ人として、私たちすべてが共犯なのです」。スコセッシは、その状況に自分自身を思い描いた。「私ならどうしただろう? そこから逃げただろうか? 何も見なかったふりをしただろうか?」

その意味で、本作はアメリカについての物語だといえる。マフィア、ケネディ家、ジミー・ホッファの対立を通し、犯罪集団が前世紀のアメリカ社会の確立に手を貸したことを描いた『アイリッシュマン』がそうだったように。また、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で描かれる、飽くなき欲望と自己プロデュースの物語がアメリカ的であったように。これは、『ミーン・ストリート』から連なるスコセッシ作品の特色だ。『ミーン・ストリート』について彼は、「どんな手段を使ってでも、手っ取り早く金持ちになること」という、彼の定義での“アメリカンドリーム”を描いた作品だったと語った。

彼のアメリカに対する関心はどこから湧いてくるのだろうか。それは、それ自体で物語と呼べるような話だ。「50年代中頃、私がニューヨークでカトリック教育に没頭していた頃に遡ります」。病弱な子ども時代、スコセッシは学校に行く以外にやることがなかった。「兄には自分のやりたいことがあり、ストリートにいた子にも自分たちの世界がありました。何が言いたいかというと、教会の話が私には腑に落ちたのです。シスターたちよりは、何人かの神父たち、とりわけ私の師だったフランシス・プリンシピ神父がそうでした」

聖職者を目指そうと思った過去

プリンシピ神父について、スコセッシは多くを語った。彼こそ、スコセッシに教会への興味を持たせ、一時は聖職者を目指そうと思わせるきっかけになった人物だった。「彼が話したことの一つに、アカデミー賞が初めてテレビ放映されたときのことがあります。『波止場』か、『地上より永遠に』が受賞したときだと思います」(注:正しくは『地上最大のショウ』で、前述の2作品がその後に続いた)。家のテレビで、スコセッシはステージ上に立つ巨大なオスカー像を目にした(「3階分の高さがあるかと思いました」)。翌日、学校ではその話題で持ちきりだった。プリンシピ神父を除いては。彼は子どもたちにこう言ったという。「『テレビに映ったものが何かわかるか?』。我々子どもたちは、彼が何を言っているのかわからず、顔を見合わせました。『あれが“黄金の偶像”だ』と、彼は言いました。彼は言葉にしませんでしたが、モレク(訳注:キリスト教における異教の神で、崇拝者は子どもを生贄に捧げたとされる)のことだとわかりました。つまり、私たちはまんまと自らの身を供したわけです」

この話がいったいどこにつながるのだろうか。スコセッシは「そういった話が頭から離れなかった」とだけ言った。「ロッド・サーリングが脚本を書いて、のちに『大会社の椅子』として映画化もされたTVシリーズ『Patterns』(原題)にも影響を受けました。映画のほうでは、主演のヴァン・ヘフリンが新築のビルのロビーを通って、初めて仕事に向かう場面が描かれます。同じ時期に撮られた『重役室』も素晴らしいものでした。この2本はアメリカの企業活動、言うなればアメリカの企業戦争を描いたもので、子どもの頃の私に多大な印象を残しました」

のちにスコセッシは、『大会社の椅子』に登場したのと同じロビーで撮影することになる。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で、ディカプリオ演じる人物が“初めて仕事に向かう場面”だ。「彼ら男たちがいかにお互いを引き裂こうとしたか。『十二人の怒れる男』とは違う世界です。あれもまた啓示的な作品で、アメリカの別の可能性を初めて見せてくれました」。スコセッシにとってアメリカとは映画であり、欲望、偶像崇拝、テレビの画面いっぱいに映し出さ���たオスカー像、そして金、競争、暴力だった。「私が話しているのは、10代前半、人格形成の時期にあった子ども時代のことです」

彼のクラスメートからは誰ひとり、もうひとりのマーティン・スコセッシは生まれなかった。スコセッシ自身も神父になることはなかった。「私はここにいますよ」と、彼は笑顔で言った。アメリカに今も生きる偉大な映画監督として。「私はローマには行きませんでした」


マーティン・スコセッシという監督について、ある奇妙な事実がある。彼は映画制作が好きではないということだ。「冗談のつもりで言うのではありません。問題なのは、朝が早いことです」。スコセッシは決して朝型の人間ではないのだ。彼はそれまでの人生を振り返って言った。「テレビで映画を観たり、本を読んだり、宿題をやったり、あるいは脚本を執筆しようとして、いつも夜遅くまで起きていました。夜を生きていましたから、街路は暗く、光を見ることはありませんでした。陽がどこへ落ち、どこから昇るのかを理解するのに何年もかかりました。冗談ではありませんよ。わかったのはロサンゼルスにいたときです。サンセット大通りを抜けて、太平洋岸のハイウェイにぶつかったところで、夜の7時に日没を目にしました」

彼はスタンリー・キューブリックの愚痴を気に入って引用する。「監督業で最もつらいことは何かと聞かれた彼は、『車から降りることだ』と答えました。車から降りた瞬間から、悩みは尽きませんからね」。スコセッシも車から降りるときには、助監督に向かってこう訊くという。「今日、私が“食べられない”ものは?」

それでも、彼は働き続ける。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は、真夏のオクラホマ州で数カ月かけて撮影された。「まず最初に、大草原を車で案内してもらうところから始まりました。その広大な草原で野生の馬を見たのです。あまりにも神秘的な光景で、古代ギリシャの理想郷を思わせました」。その場所は暑く、嵐にも見舞われた。アップルが出資した映画の制作予算は約2億ドル(約298億円)で、Netflixによる彼の前作『アイリッシュマン』とほぼ同等だった。

批評的にはもちろん、最近では興行的にも成功を収めてきたスコセッシだが、興味深いことに彼は、ハリウッドの伝統的なスタジオシステムに馴染むことができないでいる。若い頃、彼はつくりたい映画のため常に資金と支援を求めていた。当時の彼の成功作でさえ、多くが失敗のように見なされた。「『カジノ』の頃だったと思います。これは大意ですが、スタジオに『あの映画は6000万ドルの利益を上げたが、我々が関心があるのはプラス3億稼ぐことだ』と言われました」。最終的に『カジノ』はアメリカ国内で約4300万ドル、国外で7300万ドルの収益に留まった。

「自分のことに専念するだけ」

業界との映画制作に対する姿勢の違いは、今世紀に入ってからもスコセッシを苦しめ続けた。その苦難は、たびたび彼を映画の仕事から退かせる寸前まで追い詰めたりもした。スコセッシにとって長年の悲願だった2002年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、上映時間と予算を巡って対立したプロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによって少なからず傷つけられた作品だった。「あのようにしか映画がつくれないのであれば、もう仕事はできないと思いました」と、スコセッシは振り返る。「あれが映画制作の唯一のあり方なら、やめるほかありません。結果は満足のいくものではありませんでしたから。時々、あまりのつらさに死んでしまうのではないかとも思いました。だから、これでおしまいだと決めたのです」

それでも、2004年にはレオナルド・ディカプリオを主演にした監督作『アビエイター』が公開された。この作品の物語に、スコセッシは心惹かれたのだという。「あの話で描かれる執着心は、私にとって大いに理解できるものでした」。しかし、ワーナー・ブラザースとともに作品の配給に携わっていたのはどこか。ワインスタインの会社ミラマックスである。「私はそれに反対でしたが、ミーティングの場で苦しい立場に追い込まれてしまいました。そのとき私はすでに、ええと……“妊娠”させられている、というのが彼らの言葉でした。だから逃れることはできないともね。ただし、撮影は順調でした。編集も、最後の数週間までは。やがて彼らが介入してきて、私にとって極めて意地の悪いと思えることをしていったのです」。ワーナーとミラマックスが出資を断ち切ったため、スコセッシは50万ドルを自費で出してようやく作品を完成させた。

この一件は、スコセッシに再び「もう映画はつくらない」と言わせるのに十分だった。ところが、その後すぐに彼は自分に言い聞かせ、新作の制作に取りかかった。2006年に公開された『ディパーテッド』は、再びディカプリオを主演に起用しただけでなく、やはりスコセッシ自身が語りたい物語を語るためにつくった作品だった。しかし最終的に、彼は同作でまたしても後悔の念を背負うことになる。ディカプリオとマット・デイモンがそれぞれ演じた2人の主人公のうち、どちらかを死なせないようワーナー・ブラザースが要請してきたのだ。「彼らが求めていたのは、あくまで商業的な動機によるシリーズ化の可能性でした。キャラクターの生死という、倫理的な寓意とは関係ありません」。スコセッシは試写のことを振り返り、一般オーディエンスから映画作家まで、誰もが興奮気味に会場を後にしたと話した。「スタジオの関係者はがっかりしていましたね。彼らの求めていた映画ではありませんでしたから。私はもうあの会社ではやっていけないと思いました」

『ディパーテッド』は、スコセッシに最初のオスカーをもたらした作品となった。これまでアカデミー賞の監督賞に9回ノミネートされている彼だが、今もこれが唯一の受賞となっている。「アカデミー賞の候補になるのは、いつでもうれしいことでした。『タクシードライバー』ではノミネートされなかったとしてもね」。同作は、作品および俳優(ジョディ・フォスターとロバート・デ・ニーロ)はノミネートされたにもかかわらず、監督スコセッシと脚本家ポール・シュレイダーの功績は顧みられなかった。

「『レイジング・ブル』でオスカーが獲れなかったとき、そこは自分には縁のない世界だと理解しました。しかし、私はいつも自分に言い聞かせてきました。ただ黙って映画をつくれ、賞のために映画をつくるなと。もちろん、受賞したら喜んだでしょうが、それが何だというのか? だって、どのみち映画はつくり続けたのですから」。今日に至るまで、スコセッシはアカデミーとは距離があり、あまり理解されているわけではないとも感じている。「この仕事では、コミュニティの住人として、業界の一部になる必要があります。私が彼らと同じような思考を持っているとは思いません。私は自分のことに専念するだけですから」

とはいえ、オスカーを獲得したことは、スコセッシにとって励みにもなった。「それで『シャッター アイランド』をつくろうという気になりました。それから、『沈黙 -サイレンス-』をやるべきかもしれないとも」。後者もまた、スコセッシにとって念願の企画だった。キリスト教が弾圧された17世紀の日本を舞台に、信仰心を試された2人の宣教師を描く物語だ。最終的に同作は2016年に公開され、後期スコセッシを代表する傑作群の仲間入りをした。

いっぽう、再びディカプリオを起用したジャンル作品『シャッター アイランド』について、スコセッシは「おそらく、私の最後のスタジオ作品です」と話した。それ以来、彼はインディペンデントな資金調達による映画制作を指向してきた(ただし、Netflixが短期間劇場公開した『アイリッシュマン』を除いて、配給にはすべて大手パラマウントが関わっている)。「口論になるような出来事は減りました。あるにはありますが、以前のようなレベルではありません」と彼が話すのも、偶然のことではないだろう。

コンテンツの濫造に対する危機感

スコセッシのように才能ある真面目な作家がつくりたい作品をつくれないというのは、映画業界の何が変わったせいだと彼は考えているのだろうか。

「業界は終わっています」と、彼は言う。「ただし、私がかつていた業界のことですが。それも50年も前にね。1970年当時に、サイレント時代の作家に対して何が起きたのか尋ねるようなものです」。そう話すスコセッシにも、もちろん自身の見解はある。彼は「作家個人が独自の感情や思想、アイデアを表現するのを、大きな予算でサポートすること」に、スタジオ側が関心をなくしたせいだと考えている。「今では、そういった作品は“インディーズ”と呼ばれる枠に押し込められてしまいました」

スコセッシはたびたび、在りし日に思いを馳せる退行的な姿勢の持ち主と見なされてきた。彼が設立した非営利団体ザ・フィルム・ファウンデーションで何百本もの映画作品を修復・保存してきた活動が理由の一つに挙げられるが、話はそれほど単純ではない。彼は、映画館が消えることはないと考えている。「劇場での上映はこれからも続くでしょう。人々は映画を一カ所で揃って体験したいものですからね。しかし同時に、人々がそこで楽しみや感動を得たいと思うような、魅力ある場所にする努力が劇場にも必要です」

私はスコセッシに尋ねてみた。映画館はハリウッドが実際に制作したものしか上映できない。そこに根本的な問題があるのではないか。ハリウッドがコミック原作ものやシリーズものばかりをつくっても、それらを観たいと思わない一部のオーディエンスが映画館に足を運ぶことはないのではないか──。私は気まずい質問をしたと思った。過去にスコセッシがマーベルなどのコミック映画について懐疑的な意見を述べた際、彼に対して辛辣な言葉が一斉に放たれたことがあったからだ。私のせいでさらなる反発を招いてしまったとしたら、抗議はスコセッシではなく私に向けていただきたい。

それでもやはり彼は、飽和状態にあるシリーズものとコミック映画が上映作品の大部分を占めている現状に危機感を募らせていた。「危険なのは、それが私たちの文化に及ぼす影響です」と、彼は言う。「それだけが映画だと思い込む世代が将来現れかねません。それこそが映画なのだと」

もうすでにそう思っている人はいるのではないか。

「すでにそう思っている人はいます。だから、こちらも根気よく反撃しなくてはなりません。それも草の根レベルでね。映画作家が自ら行動を起こさなければ。サフディ兄弟やクリストファー・ノーランもいるでしょう? 諦めないで打ち続けるのですよ。不満を言うのではなく、刷新していくのです。映画を救うためにね」。映画は何だってありだとスコセッシは言う。シリアスである必要はない。例えば『お熱いのがお好き』だって映画だ。いっぽうで彼はこうも言う。「ただし、私は濫造された“コンテンツ”は映画ではない、とは考えていますが」

そんなことまで言う必要があるのだろうか。

「ええ、私だって言いたくありません。ただ、機械的に濫造された映画は、AIによって生成された映画のようですらあります。そのような映画に素晴らしい監督や、美しい画を手がける特撮スタッフが関わっていないとは言っていませんよ。でも、その作品の意味は? 観客に向かって何を与えてくれるのか? 少しのあいだ楽しまれて、その後、頭からも身体からもすっかり忘れられてしまうだけでなく?」

映画芸術を救うために必要なのは「不満を言うのではなく、刷新していくこと」だとスコセッシは語った。

とはいえ、彼は技術革新に反発したり、嫌悪を覚えたりするタイプではない。彼は、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の3D技術やIMAX撮影、テクノロジー面での新たな試みに、多くの人々と同じように見入ったひとりだ。「新しい手法を見るのは楽しみにしています。ただ、私の到達点はここまでです。それが私であり、私はそれまでなのです。力を奮い立たせて、あと2本、もしかしたら1本かもしれませんが、それを制作したらおしまいでしょう。進めなくなるときまで、ただ前進するのみです。大事なのは、自分の頭や腹に抱えているものをさらけ出すことです。自分の人生で今、自分によって語られなくてはならないことはいったい何なのかを見つけるために。映画をつくるなら、何かを語らなければなりませんからね。さもなければ、それをつくることに何の意味があるというのでしょう」

スコセッシは、今でも高額予算を投じた作品で、スケールの大きい独自の物語を伝える希有な監督だ。いつまでそのような例外的な存在でいられるか、彼はしばしば疑問を抱いてきた。彼には現在も企画段階の作品が複数控えている。当初はトッド・フィールドが、その後全米脚本家組合によるストライキが起こる前まではケント・ジョーンズが関わっていた、マリリン・ロビンソンの小説『ホーム』の翻案などがそうだ。「いつまで私の企画であることか。私は81歳になろうというのですよ」

その問いに答えはあるのだろうか。

「わかりません! 誰かに床から引っ張り起こされる瞬間まで頑張るつもりですが、何とも言えませんね」


スコセッシも最近の映画を観て、そこに自身の作品からの影響を見て取ることがあるのだろうか。

「ええ、カメラワークなんかにね。ただ、多くの場合はストーリーと雰囲気です。間違いなく、多くの作品に影響が見えます。なかには、あまりにも似すぎていて、観るのをやめたものもありました。何かを学ぼうというつもりで映画を観るわけではないのですが、その作品から得られるものはないと思ってのことでした。映画は学習のために観るものではありません。しかし、映画を観ることによって、何らかの啓示を得て劇場を後にすることもあるでしょう。言葉にするのが難しいですが、別の方法では得られない何かです」

例えば、ジョアンナ・ホッグが監督・脚本を務めた2010年の『家族の波紋』がそうだという。「あの作品には目を開かされました。その後、彼女の作品のいくつかにプロデューサーとして関わることができたのは幸運なことです。何かを学ぼうとして観たのではありませんが、それでも得るものがありました。今や私のスタイルとなったものの多くや、やろうとしていること、また映画制作へのアプローチは、そのような作品を観てきたことと無関係ではないと思います」

自身のかつての作品で用いたカメラワークなどについて、スコセッシはそれはもう昔のものだと話した。「問題なのは、それをやる意味があるのか、ということです。それはすでに共通言語の一部になっています。息をのむような美しいカメラワークを私がこなせるか、証明する必要があるでしょうか。『グッドフェローズ』でやったように? ええ、もうやっています。もう一回やるかと言えば、うーむ……答えはノーです。まったくやる意味がありません。あれはあのときだからよかったのですよ。今では、ショットをつなぎ合わせたりして、信じられないほど美しい画作りをする作家たちがいます。しかし私は技法のことは、どう言えばいいのか……撮影法の技術的な面には興味がありません。私の関心は、究極的にはイメージの積み重ねにあります。人々のイメージ、そして彼らが何をしているのかということにね。しかし今は、別なことに関心を向けている作家も多いようです。それも、カメラワークにだな���て。何もかも彼らによってやり尽くされているのだから、私は別のことをやらなければ。別の目的地に向かわねばなりません」


自分に対して正直でありたい

たいていの場合、スコセッシはイースト・サイドにある自身のタウンハウスにいる。5階にある彼の書斎は小さく雑然としており、ベッドにもなるソファが置いてある。「私はここで映画をつくっています」と、彼は言った。階下は暗い色調の木製の内装に、『赤い靴』や『たそがれの女心』、『上海ジェスチャー』などの映画ポスターが飾ってあった。いくつかの部屋は油彩画など彼の妻の私物であふれており、机の上には合衆国建国の父のひとりである彼女の祖先、ガバヌーア・モリスが所有していた『Historic Families of America』(原題)の初版本が置いてあった。ほかに、3匹の犬のために犬用の出入り口が、また健康上の理由から必要とされたエレベーターが設置されていた。書斎にいたスコセッシは青い靴下を履き、靴は履いていなかった。防音仕様だというその部屋の廊下を挟んだ向かいには彼のワードローブがあり、同じ階にはさらに簡易キッチン、そしてプロジェクタースクリーンがあった。数千の映画が入っているという巨大で複雑な機械装置は、スティーヴン・スピルバーグからの贈り物だという。「彼自身も1台持っています。フランシス(・フォード・コッポラ)も気に入っていました」と彼は話した。

窓から差し込む白っぽい午後の陽は、彼の白髪とあの特徴的な眉毛を光り輝かせた。彼の隣にある小さなテーブルには白い紙が積まれ、黒いインクで一面に殴り書きがしてあった。「その日一日にすることを、なるべくメモしようと思っているんです」と彼は話した。

それは、彼が1988年から続けてきたことだった。それは一つにはセラピーの意味があり、また実際的な日記の側面もあった。その“日記”を、彼は死ぬ前に燃やしてしまうつもりでいる(その後、彼は気が変わったとし、保存することにしたと私に話した)。スコセッシが執着するいくつものテーマの一つに、自己欺瞞がある。「私の作品の多くに、信頼と裏切りというモチーフが関わっています」と、彼は言う。例えば『タクシードライバー』で、我々は徐々に錯乱の度合いを強めていくトラヴィス・ビックルの脳内に囚われる。また『グッドフェローズ』や『カジノ』、『アイリッシュマン』では、マフィアたちが自己正当化のために自分に対して嘘を重ねていくさまが描かれる。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』でも、ディカプリオが、過ちに過ちを重ね、自分自身からも真実を覆い隠そうとするキャラクターを演じる。

スコセッシにとって、それは共感できるテーマなのだという。彼はそのことを常に考えてきたし、彼の日記もある意味ではそのためにあるというのだ。「ある出来事が起きたとき、それに対してどのように感じたか、誰かに訊かれたとします。もしそれが私にとって重要なことなら、自分がそのとき何を書いたかを遡って調べることができます。そして、おそらく自分が書いたことに恥辱を感じるでしょう。もしかすると、そこには私が行った──先ほど話にあったことですが──自己正当化、自分についた嘘まで見えるかもしれません。それか、自分のやったことをどうにか受け入れようと、もがいているさまが見えるかもしれません。わかりますか?」

なぜそれが彼には大事なのだろうか。「私が作品でやっていることに関わることだからです」と、スコセッシは言う。それは、真実を語ることである。たとえ、その真実が不都合なものだとしても──。「私はできるだけ、自分に対して正直でありたいと思っています。作品の中で正直であれば、人間としても正直でいられるかもしれません。たぶんね」

私が見た限り、スコセッシは確かに正直であろうとしている。例えば、彼に差し迫る死のことを訊いたなら、彼は率直に真実を話してくれるだろう。躊躇しながらも、私が尋ねてみたらそうであったように。「そのことはいつも考えています」というのが、彼の答えだった。その次に彼が話したことを、私は自分ひとりで耳にしているのがもどかしかった。なぜなら、それはそれは美しい言葉だったからだ。それに、そのような美を文章で伝えるのは難しいことでもある。私の不躾な質問に対して彼が40分ほど語った内容を、ここではかいつまんでしか紹介できないが、彼は次のように話した。

「周りを見渡したときに見えるもの、これらをどこへやったらいいかを私は考えなければなりません」。彼は部屋を見回し、自身がこれまで集めてきた品々に目をやった。「これらすべてを手放さなくては。私は大の収集家で、映画や本を取り憑かれたように集めてきました。今となっては、これらに去ってもらわなければなりません」。机の後ろの本棚には、彼の友人や子どもたちの写真がところ狭しと置いてあり、本が隠れて見えないほどだった。「私のちょっとしたモザイク画です」。彼がそう呼ぶものも、なくならなければならないという。その後ろにある映画の本もだ。「何もかもとお別れしなければならない、そして自分は死ぬのだと気づいた瞬間に、すべてが変わります」

それはなぜか。

「人が費やす時間というのは、実際に時間を費やすことなのです」と、彼は言う。「時間を無駄に浪費することではありませんよ。時間をただ無駄にしているのではないと感じるには、自分の時間を費やすなかで、その瞬間に自分が存在しているのだという実感を得ることが必要です。ただ存在するだけです。窓の外を見てください」。彼は窓を見やった。「木が半分見えるでしょう。それから���えと、私が子ども時代を過ごした1940年代のポスターがあります。これらは私が当時観た映画です」

彼が指差した壁には『キャット・ピープル』、『ローラ殺人事件』、『過去を逃れて』、『哀愁の湖』のポスターがあった。

「『過去を逃れて』は『バンビ』との併映で観ました。劇場に行けば何かが得られると、子どもの頃の私に約束してくれたのがこれらのポスターです」。スコセッシは、40年代から50年代にかけてのポスターやロビーカード(訳注:主に映画館のロビーに掲示された、スチル写真などの宣伝素材)を何千点も所有している。しかし、彼が指差したものは特別であり、だからこそ壁に飾られている。「いずれにせよ、大事なのは時間をいかに費やすかです。なぜなら、費やした時間は返ってはきません。だから、バランスをとる必要があります。自分が存在しているという実感を得ること──そこを“休息”と言う人もいますが、“休む”のではなく、“存在”するのです。それと、すべてを学びたいというほとばしる気持ち──。その2つのあいだでのバランスをね」

彼はまた周りを見回し始めた。「これはオウィディウスの本です。それと、これは昨晩読み始めたものですが、素晴らしい本です」。彼はエリザベス朝の戯作家トマス・ナッシュの評伝を取り上げ、さらにもう一冊を手に取った。「シェイクスピアに影響を与えたトマス・キッドについての本です」。『神曲』を読みたいという彼は、そのために学校に戻りたいと話した。「全編読まなくてはなりませんが、それには誰かの指導が必要ですからね」

彼は、ジェイムズ・ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』以外すべて、またトルストイ、メルヴィル、ドストエフスキーはすべて読んだという。それでも、彼がまだ読んでいない本は無数にある。寝床から動かず、何もしない男を描いたイワン・ゴンチャロフの『オブローモフ』について、彼は次のように話した。「彼はただ存在したいのです。恋愛は面倒が多くつらいだけ。友人関係も厄介なだけ。その本をぜひ読んでみたいと思っています。なぜなら、価値があるのはもしかしたら……例えば、あの犬たちを見てください。彼らは確かに“存在”しています。罪を犯すこともせずに。何が言いたいかわかりますか? つまり、あんなふうになれたとしたら? しかし同時に私は、アッカド人のことや、ペルシアの国王キュロス2世のことについても知りたいのです」

古代オリエントの国家エラムの人々が「何をしていたのか?」ということも、スコセッシには気がかりだ。彼が話していた文明の起源にあたる部分である。しかし、彼は「私にはもうその時間がない」と繰り返した。

歳を取らなければ理解できないことがある

彼は読みたい本を、つくりたい映画の企画を、今でもやりたいことすべてを、自分にはそれが叶わないことを知りながら見つめている。「自分が辿りたかった多くの物語が、今から始めたのでは遅すぎるのです。唯一あるとすれば、例えば『ホーム』を次回作に選ぶか、さもなければ私がぜひやりたいと思える企画がもし舞い込んできたとしたら、それならできるでしょう。もちろん、そのときまで慈悲深くも生き永らえさせてもらえて、健康状態もよければの話ですがね。しかし今の私は、できれば自分で監督したかった企画のプロデューサーに甘んじている立場です。10年前なら話は別でしたが」

老いには、実際に歳を取らなければ理解できないことがあると彼は言う。「『アイリッシュマン』にもあった台詞です。看護師が主人公の血圧を計っているとき、彼はその歳にならなければわからないことがあると言います。そこに達しなければわからないのですよ」

では、残るものは何か。作品はもちろんのこと、家族、そしてスコセッシの場合、信仰がある。「私はそのように育ちましたから。信仰に前のめりになり、拒絶し、再び戻ってきました。私がモチーフにしてきたテーマはすべてそれです。だから、私は今もその一部に身を置いている、あるいはそれが今も私の一部である、ということを意味しているのだと思います。であれば、私はいったい何者だというのか、私はそれを突き止めなければなりません。つまり、私が私であるということに、それがどのように関係してくるのか、また私はどのようにそれに関わるべきなのか。“それ”がいったい何だろうと。作家のフラナリー・オコナーは、信仰を暗い部屋に喩えました。電灯のスイッチを見つけるまで、つまずきながら歩くさまとして。そう、そこは暗い部屋なのです。どこかにかすかな光があるかもしれないというだけのね」

「遅すぎる」という彼の言葉──それは解放でもある。残された時間を彼がどう使うつもりなのか、私はおずおずと尋ねてみた。神を前に正しくあろうと、最後の偉大な作品をつくることだろうか。しかしスコセッシの返事は、そこに答えはない、ということだった。あるのは、ただただ自分だけなのである。

「最後に偉業を遂げるかどうかは問題ではないと思います。重要なのは、探求を続けること。神の前に正しくあるために必要なのは、いつだってそれなのです。誰もがその途上にありますが、年齢を重ねるにつれ、時間がないことが少しずつ明らかになってきます。つまり、日々その事実に向き合うことこそが大切なのです。目の前の自分は誰なのか、どのように自分と対峙するのか、そのことに最善を尽くすのです。“神の前に正しくある”と言ったとき、重要なのは人生の神秘を学ぶことでしょうか? そのような問いに対する答えなど、得られることはないでしょう。それとも、罪の意識からの解放でしょうか? おそらくは無理な話です。でも、そんなことはどうでもいいのです。結局、それが自分なのですから。自分をありのまま受け入れることです。言ってみれば、『またお前か。また痛みを持ち込んだな。まあいい、とにかく先に進もう。何てこった、痛いところを突かれた。いいだろう、やってやる。ああ、50年前と同じ厄介事だぞ。また蒸し返してきたか』──そのような対話の繰り返しです」

彼はそのまま続けた。自分との闘いは繰り返しやってくる。人が一生のうちに幾度となく出会い、その人となりを知ろうとする相手──その人物の欠点や望み、夢にスコセッシは作品づくりを通して応えようとしてきた。その葛藤のなかで、彼の過去は何度も何度も、泡のように彼の目の前に浮かび上がった。「その泡を、どうにか元のところへ戻そうとしがちになります」と、彼は言う。「それによって傷つけられないわけではありませんからね」

彼は微笑み、生粋のニューヨーカーらしく肩をすくめて言った。「ただ、そんなものをいったいどうしろと言うのでしょう」

マンハッタンの路上に立つスコセッシ。


PRODUCTION CREDITS:
Photographs by Bruce Gilden of Magnum Photos
Location, special thanks to The Whitby Hotel
Grooming by Kumi Craig using R+Co at The Wall Group

From GQ.COM

By Zach Baron
Translated and Adapted by Yuzuru Todayama


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