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「虎に翼」今週の解説
2024.07.05

虎に翼 第14週「女房百日 馬二十日?」を振り返って

明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図書館長 村上 一博


Ⓒ三淵邸・甘柑荘保存会 初代最高裁判所長官・三淵忠彦(1880-1950)

寅子は、初代最高裁判所長官の星朋彦(平田満さん)の戦前の著書『日常生活と民法』を、息子の航一(岡田将生さん)とともに改訂する作業をすることになりました。星朋彦のモデルは、三淵忠彦であり、その著書『日常生活と民法』の初版は大正15年です。民法を普及させるため、日常生活に即して平易に講述したものでした。例えば、妻の無能力については、「これには理由があるのであって、我国では夫婦と云ふものは、平等の立場に在るものとは見ない。妻は常に夫の権力の下に服従して居るものと見る。家庭の平和を維持するには妻を無能力者とする必要があると見られて居る」。これを「甚だ不都合な、不平等な制度である」といった非難は「殆ど顧みられ」ず、非難「して居る人は沢山はない」と述べています。戦前の民法における「家」制度や女性の低い地位をそのまま祖述した著書でした。この忠彦の著書を、関根小郷(裁判官)と和田嘉子が、戦後の民法改正に則して補修したのです(昭和25年刊)。妻の無能力に関する箇所がすべて削除されたことは言うまでもありません。したがって、三淵さん(当時は和田さん)が改訂作業を行ったことは史実ですが、息子の航一(実際の名前は乾太郎)と一緒に行なったのではありません。ドラマでは、航一と寅子の出会いの場を設定して、航一に対する寅子の第一印象を、意味不明な「なるほど?!」ばかり連発する「何だか、とっても、すんごく、やりづらい!」人という、あまり良くないものにしています。この第一印象が、今後、徐々に、どう変わっていくかが愉しみですね。

穂高先生と寅子のわだかまりは最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる(おそれ) があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。ちなみに、実際の穂積重遠教授は、昭和24年2月に最高裁判事に就任(任期4年)していますが、昭和26年1月1日に病で倒れ、その後7月29日に死去しました。

穂積重遠は、病に倒れる少し前、最高裁判事として、憲法判断を迫られた二つの事件に関わりました。①昭和25年10月11日判決と➁同年10月25日判決(ともに大法廷判決、刑集4巻10号)です。①は刑法205条「身体傷害ニ因リ人ヲ死ニ致シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス(第一項) 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ニ対シテ犯シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処ス(第二項)」に該当する尊属傷害致死事件、➁は刑法200条「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」に該当する尊属殺事件でした。両判決ともに、尊属重罰規定を合憲としており、憲法第14条が法の下における国民平等の原則を規定したのは、「人格の価値がすべての人間について同等であり、従つて人種、宗教、男女の性職業、社会的身分等の差異にもとづいて、あるいは特権を有し、あるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならぬという大原則を示したものに外ならない……しかしながら、このことは法が、国民の基本的平等の原則の範囲内において、各人の年齢、自然的素質、職業、人と人との間の特別の関係等の各事情を考慮して、���徳正義、合目的性等の要請より適当な具体的規定をすることを妨げるものではない。刑法において尊属親に対する殺人、傷害致死等が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したものであり、これ道徳の要請に基づく法にある具体的規定に外ならない」(判決➀)と判示しています。穂積重遠は、この多数意見に反対する意見を残しています。「孝は百行の基」であるのは新憲法下でも変わらないが、尊属重罰規定によって、「親孝行を強制せんとするは、法律の限界を越境する法律万能思想であって、かえって孝行の美徳の神聖を害するものといってよかろう」というものでした。穂積の意見は、当時は少数意見に過ぎませんでしたが、ようやく、20余年後の昭和48年4月4日の最高裁大法廷判決(刑集27巻3号)によって、違憲判断が下され、その結果、刑法200条および205条は削除されました。穂積は、「出涸らし」としての役割を見事に果たしたのです。

なお、親権をめぐる家庭裁判所での調停・審判について、ここではお話しできませんでしたが、実際の係争事例を参考にしながら、親身になって少年少女に接してその真情を引き出す、「三淵マジック」とも言われているケースを再現したものとなっています。

<補足>
先日、伊藤沙莉さんから、「虎に翼」制作スタッフに、「虎に翼」オリジナルのTシャツ・トレーナー・トートバックの3点セットのプレゼントがありました。なんと私にも。近々、展示しますのでご覧ください。