![オンラインカジノの歴史・作られた国・法律の話](https://cdn.statically.io/img/homasalon.com/wp-content/uploads/2021/01/ship-4753115_640.jpg)
今でこそ当たり前のように登場するオンラインカジノですが、実はここ20年の歴史しかありません。
意外と最近なんだ!と思いがちですが、よくよく考えるとそれは当然の話です。
そもそもオンラインカジノの歴史はインターネットの普及と大いに関係があります。
インターネットが普及したのは1995年前後、Windows95が大ヒットを飛ばした時期と一致します。
1994年にアンティグア・バーブーダというカリブ海にある国がイギリス連邦加盟国であるこの島で、世界で初めてオンラインカジノの運営ライセンスを発行する法律が作られました。
今では、他にもマルタ共和国やジブラルタル、マン島などのライセンス発行国が存在し、アンティグア・バーブータと並んで、信頼度の高いライセンスとなっています。
ここで外貨を獲得に成功すると、生き残りを賭けて小国がどんどんライセンスを発行するようになります。
しかし、ライセンス案は可決されたものの、その当時はまだインターネット自体が民間にそこまで浸透しておらず、回線速度も遅かったということもあり、その普及速度は芳しくありませんでした。
そしてオンラインカジノを運営するにあたり、ライセンスと共に必要不可欠なのが「ソフトウェア」です。
1994年、アンティグア・バーブーダで法律ができるという話をつかんだ会社があります。
それが現在もオンラインカジノのソフトを数多く世に送り出しているマイクロゲーミング社です。
まだまだこれだけではオンラインカジノを安全には運営できません。
次に問題になったのがセキュリティに関する問題ですが、1996年、クリプトロジック社が立ち上がります。
これらが加わったことで、1996年、オンラインカジノの歴史がスタートします。
最初に名乗りを上げたカジノは、現在も人気を集めるインターカジノです。
インターカジノはクリプトロジック社の子会社「ウェイジャーロジック」が立ち上げ、当初から安心なオンラインカジノとして人気となります。
インターカジノは後にインターテイングループに買収され、その後別のオンラインカジノも買収します。
それこそ、現在日本で最も有名なオンラインカジノであるベラジョンカジノです。
20年のオンラインカジノの歴史の中で、様々なことが起きました。
ライセンスを持たない違法なオンラインカジノサイトや、不正を働くオンラインカジノサイトが大量に登場します。
ライセンスを発行する国が審査を厳しくするなど、業界内で働きかけがあって、今の安心安全なオンラインカジノが出来上がります。
インターネットが普及し、パソコンの処理速度が上がり、スマホでも簡単に遊べる時代となりました。
その都度、オンラインカジノは進化を遂げ、仮想空間にディーラーがいて本場のカジノのような遊び方ができるようになっています。
わずか20年の歴史ではありますが、加速度的に進化を遂げたIT世界同様、オンラインカジノの歴史も急速に進化を遂げたのです。
オンラインカジノの安全性と確立
カジノというのは、「リアルなもの」という概念があります。
リアルマネーを使用するなら尚更です。
しかしこのオンラインカジノというのは、バーチャルでありながらリアルマネーを運用する、というシステムなのです。
ただ気になるのは、その安全性に問題はないのかという点ですね。
実際に、オンラインカジノ運用初期には、様々なトラブルがありました。
賞金の未払い、アカウント凍結、不正操作などです。
このような事があると、プレイヤーは安心してカジノを楽しめなくなります。
原因としては、オンラインカジノ業者の乱立と公式ライセンス不保持業者の横行にありました。
しかし、現在は取り締まりの強化、およびライセンス発行国の審査基準の引き上げにより、オンラインカジノサイトでの悪徳業者はなくなりました。
他の要因として、ライセンス以外に独自の第三者機関からの厳しい審査を定期的に受けている点が挙げられます。第三者機関には、TSTやeCOGRAなどがあります。
その判断基準としては、プレイヤーに対して正当に還元が行われているか、などのチェックです。
さらに運営会社は、カジノゲームの内容に関与する事ができません。
このような事から、不正のできない仕組みになっています。
オンラインカジノの日本参入
世界でオンラインカジノが広がりを見せる中、日本は少し遅れての参入となりました。
そもそもの日本社会でのネット普及の遅れ、そして言葉の壁も大きかったと思われます。
2000年後半頃から少しづつ日本でも普及し始め、日本語対応しているオンライン業者が出始めるのですが、当時はまだ日本語対応が追いついておらず、直訳的な日本語のページとなっていました。
その点が普及の枷になっていたのです。
しかし、2000年後半頃になると、オンラインカジノ業者が日本市場に目を向けるようになり、日本語の環境が飛躍的に上がりました。
その発端となったのは、「インペリアルカジノ」です。
インペリア���カジノは日本語対応のサポートを開始して、それがきっかけで日本でのオンラインカジノが急速に普及していきます。
上でも書いてますが、その後に日本で最もユーザー数が多いとも言われる「ベラジョンカジノ」など相次いで日本市場に参入しました。
「ベラジョンカジノ」はVera&Johnグループが運営していますが、その親会社の「Dumarca Holdings Ltd」はインターテイングループにより買収されることとなりました。
このインターテイングループは、「インターカジノ」を買収した会社です。
このベラジョンカジノの親会社変更の一連の動きは、日本市場に力を入れるためだと言われています。
実際にベラジョンカジノは日本語のサポートがしっかりしており、銀行やクレジット対応など、日本人プレーヤーが遊びやすい環境がしっかり整っています。
さらに日本人向けのゲームである「Hawaiian Dream」は、人気のゲームの一つでもあります。
いつの間にか身近になってきたように思えるのが、オンラインカジノです。
今やラスベガスやマカオなどの現地に行く必要なく、カジノをリアルマネーで楽しめる時代になりました。