上位の肯定的レビュー
5つ星のうち5.0夢はいつだって、夢見る事から始まる
2024年6月5日に日本でレビュー済み
個人的に大好きすぎて正当な評価が出来ない場合、自分はレビューを書く事は無いのですが、
書いてしまいます。
しかも、一度、短い広告版のほうにレビューしちゃったにも関わらず・・・w
(そしてそっちは消しましたw)
ネタバレしても良いくらいには王道で、観る人が予期していない訳が無い、とは思いつつ、一応、
広告板以上のネタバレをしないのを以下に・・・・
・・・・・
◯絵作りについて
本作のカラースクリプトは、大体一貫して「金+紺、赤」で構成されています。
明るいところは金や暖色系で、暗い所や彩度の高い所は紺や赤の印象を上げる。
これが非常に本作でハマっていて美しかったです。
これは補色の関係でもあります。(色相の反対色が隣り合うと、それぞれが鮮やかに見えるよう人間の目が錯覚します)
この「金を基調に補色を与える」カラースクリプトが、本作における幻想的で、暖かい印象を見事に昇華させています。
ウォンカの赤いマントやチョコレートが金色の画面に印象的に残り、観る者にうっとりとする色彩の魔法をかけます。
通常、多くの優れた映画はカラースクリプトやレイアウト、ライティングの見本として名画を参考にします(少なくともアーティストのリファレンスとして、絶対に)
本作における絵作りは、恐らく新古典派、印象派、ロマン主義、新ロマン主義あたりの絵画的表現を参考にしているはずです。
本作の舞台の時代としては大体19世紀末~20世紀初頭くらいだと思うのですが、それも全て
「上手い!座布団二枚!」という感じです。
補色に人類が気付いたのはこの時代ですし、金や黄色を基調色にした補色による絵画の構成も、この時代に多く見られます。
この時代は産業革命の時代でもあり、巷には金色の真鍮製の道具、マホガニーの艷やかで濃い色の木製家具が流行ります。ガス灯があり、フィラメント電球が発明されもしましたが、これらは皆、金色に輝くライトです。
まさしく本作の舞台は、「金と紺+赤」がもっとも欧州に溢れていた時代、と言うわけです。
小道具、大道具の夢いっぱいさも素晴らしいです。見る人を「うわあ、いいな」「こんなのがあったらいいな」と思わせずにはおけない背景やウォンカの道具は、アーティストたちが苦心して描き、作り上げたものです。
ウォンカの携帯工場が登場する一連のシークエンスをどうか見て下さい。
ウォンカの幸せの魔法は、この道具を出した時に既に始まっているのです。
金色の光を、金色の真鍮が鮮やかに照り返す。
カメラがウォンカにフォーカスすると、真鍮が照り返す光は美しい玉ボケとなり、
まるで金色の星の粒のようになります。
この金色の星の粒は、物語のクライマックスにも呼応します。
金色の光の粒、これはウォンカの魔法を隠喩しているのです。
◯物語
物語は一貫して王道です。ザ・王道です。
何の変哲もない、凡庸な筋立てと言って全く構わないでしょう。
子供向けの作品、以上。です。
・・・でも、そうでもないかも知れません。
本作の冒頭、
とある町に船でやってきた「数枚の銀貨と帽子いっぱいの夢」しか持たない、若者ウォンカが描かれます。
彼は船賃の代わりに船で働きながら、ようやくここまでやって来たようです。
若者ウォンカの夢は「チョコレートを世界中の皆に食べてもらうこと」「昔から憧れていたこの町でチョコレート屋を作る事」です。
でも、この町は『夢を観る事が禁止』の町で、しかもチョコレートは三人のチョコレート会社の経営者によって牛耳られています。
どうやら、彼が憧れていたこの町には、激しい格差もあるようです。
こんな町で、ウォンカの夢はどうなってしまうのでしょうか?
「大いなる夢や希望を持ち、でも今は何の持ち合わせも成功の道筋も無い」
それは全ての人が、きっとどこかで体験した事があるはずです。
ウォンカは「あなた」の象徴、或いはあなたの中の「夢見るあなた」の象徴です。
そして彼が訪れる町は「過酷な現実」の隠喩でもあります。
彼がこの町にやって来た冒頭、
ミュージカルの歌と共に、ウォンカは銀貨を次々に消費してしまいます。
でも、「帽子いっぱいの夢」は無くなりません。
歌の最後あたり、「どうかお恵みを」という貧しい身なりの赤子を抱えた女性に、
彼は「好きなだけどうぞ」といって手の中の銀貨を見せます。
女性はそのうちの一枚だけを手に取り「どうもありがとう」といいます。
そして彼は小さく微笑んで去ります。そして、ついに彼の残り一枚だけになってしまった銀貨さえ、彼は穴の空いたポケットからドブの中に落としてしまいます。(この町にはどうも用水路があるんですね、へー)
でも、「帽子いっぱいの夢」だけは決して無くなりません。
(はっきり言って、この作品冒頭の5分でこの作品が大好きになってる始末でして・・ww
もう全然、まともなレビューなんて書けないのですwww)
・・・そんな気が優しいけど、浮世離れしてちょっと間抜けな彼は、
本当にこんな過酷な現実で、自分の望みを叶える事なんて出来るのでしょうか???
物語はそういう話です。
ところで「チョコレート」は、何かの隠喩でしょうか?
もちろん、きっとそうでしょう。
・・・ツッコミどころは、もちろんめちゃくちゃあるんです。
もうちょい説明しないと、この町の解決がちゃんとしてないままだろ、とか、
悪役の悪事が、メルヘンテイストだけど実は生々しい所に気付いちゃうので、もうちょい抑えないとバランスが悪いだろ、
とか色々と・・・うん。
そんな事はチョコレート食って寝れば明日には忘れるので別にどうでも良し!!!!!!
以下、ネタバレになりかねないので・・・・
・・・・・・・・・・・
「帽子いっぱいの夢」
これ最初、誤解していたのです。
普通によくある、「自分がこうなりたい、という夢」
を抱いている事を表しているだけだと思っていたんです。
でも違いました。
実はよく考えてみると・・・
ウォンカは物語の中で一貫して、
「美味しいお菓子をあげる」「誰かを幸せにする」ことしかしていません。
最後の悪役にさえ、彼自身は『美味しいお菓子をあげる』ことしかしていないのです。
そうなんです。
彼が物語前半の魔法の道具から放たれる光の粒、そして物語最後の金色の光の粒。
これがこの物語のテーマだったんです。
「帽子いっぱいの夢」
これは、自分の夢じゃなかったんです。自分だけの夢じゃなかったんです。
皆にあげる夢だったんです。
帽子いっぱいに詰まった、
次々と失くなる銀貨に対して、決して失われる事のない帽子いっぱいの夢は、
皆にあげるための夢だったんです。
ママのチョコレートの美味しさの秘密は、
この映画の素晴らしさの秘密は、
それだったんですね。
作中、ウォンカは決してへこたれません。音楽がよく表してます。
夢破れて?船に乗り込むウォンカのシークエンス、この時に流れる音楽は物語冒頭の夢あふれる時の音楽と同じであり、明らかに呼応しています。
しかしこの音楽、スローで淋しげな曲調にはなっているんですが、「短調」にはなってなくて「長調」なままなんですよね!彼のこの時の内面、心情が手に取るように分かる仕掛け。ああもう。
夢は終わらない!というエピローグ、
スタッフロールでも余すこと無い楽しい仕掛け。
ああもう。
どこを見て仕事してるんだ?という疑問を抱かずにはいられない作品は数多いです。
しかし本作では、その苛立ちややるせなさを一切抱かずに済むでしょう。
「観る人に素敵な体験を」
その意思に、本作は溢れています。
ちなみに・・・・・・
ヒュー・グラントの扱いが世界で一番悪い映画であることも、特筆すべきですw
しかしながら、老齢期でオレンジ色の肌をしちゃってるのに、あの匂い立つセクシーさとスマートさ・・・
流石ヒュー・グラントと思わずにはいられませんでしたw