上位の批判的レビュー
5つ星のうち3.0内容をそのまま要約しておきます
2024年7月5日に日本でレビュー済み
人類史をこんな切り口から解説した本は初めてだったので面白かった。が、ホンマかいなってところが多々ある。が、ここでは反論せず、内容をそのまま要約しておきます。
著者のハラリ教授はエルサレムのヘブライ大学でマクロ歴史学を研究しているそうだが、NHKの「英雄たちの選択」や「偉人たちの健康診断」はもとより司馬遼太郎の司馬史観などはどれもミクロ歴史学とでも呼ぶべきもののようだ。対照的にハラリ教授は人類史をホモサピエンスの成立からAI時代にいたるまでの超俯瞰視点から説明していて、我々の生物学的特質やそこに構築された超ハイテク構造社会をわかりやすくあぶり出している。
ただ、文章が翻訳されたものであるためか読みづらいし、説明がけっこうまわりくどい。なので、要点を端的に整理しておく。
1. 我々ホモサピエンスはホモエレクトスやネアンデルタール人やデニソワ人などと比べると特別勇猛でもないし、身体能力ではネアンデルタール人にかなわなかった。火をつかうことを覚えたのもネアンデルタール人やデニソワ人やホモエレクトスと同時期であった。が、あるとき突然変異が起こり、そこにはいないだれかの噂話をしたり、神話のような架空の話を語ってコミュニティの中の共通認識をつくりあげたり、獲物を狩る際の綿密な段取りを打ち合わせするコミュニケーション能力を身につけた。すると、自分たちのコミュニティはもとより、他のコミュニティの者たちとの連携プレイが可能となり、チームプレイによる効率のいいハンティングができるようになった。今、我々は直接会って話したことのない人でも、その人の噂を聞いて仕事を依頼したり、実際に使ったことのない道具でも、それをつくった会社の噂を信用して購入したりしているが、これはこのときに獲得した能力によるものである。この能力がなければ100名以��の人数をまとめるリーダーをつくることは不可能だし、100名以上の人数がひとつのコミュニティをつくるのは無理となる。また、遠く離れた地域の人と交易したりすることもできない。尚、宗教やイデオロギーや貨幣制度などは虚構に類する実態のない概念を理解できるようになったことの産物であり、ヒト科の中でこの能力を獲得したのはホモサピエンスだけであった。
で、サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人やホモエレクトスなどの自分たちとは匂いの違うヒト科の者たちをやっつけるようになった。目ざわりだったからなのか、食べるためだったのか、向こうが襲ってくるからなのか、そのあたりの経緯は不明。で、他のヒト科のものたちをすべて駆逐するのと同時にマンモスなどの大型哺乳類などもどんどん絶滅に追い込み、アフリカ、ユーラシア大陸ばかりかオーストラリア大陸、南北アメリカ大陸にまで進出して行った。
2. 今から1万年ほど前にあちこちで農耕をはじめる部族が登場し、人類の苦難がはじまった。はじめはあくまでも狩猟採集生活がメインで、米や麦を栽培したり羊や豚などの家畜を飼うのは補助的な活動でしかなかったのだが、次第に農耕による生産活動に夢をもつようになり、そっちをメインとした生活様式にシフトチェンジしていった。が、農耕は人口を増やす効果があったものの、個人の生活を豊かにするものではなかった。森の中にはいって好きな食べ物を選んでとってくる方がバラエティに富んだ食生活であったし、労働時間もずっと短くてすんだし、他の部族との争い事があったり、災害などがあれば他の地域に移動することができた。が、農耕民は他の地域に移動することができない。畑や田をつくるには長い年月を要するため、それを捨てて他の場所に移れば部族を維持するのは不可能だった。で、貯蔵してある作物をねらう者の襲撃をうけたり、隣接していた部族との間でいさかいが起きても逃げるわけにはいかず、死にものぐるいで戦わねばならなくなり、戦闘で命を落とす者の比率が急上昇した。成人した男子の半分が戦闘で死ぬような状況は珍しくなくなった。それでも、略奪を受けたり、天候不順などで作物が全滅したりすることがある。そういう場合は部族が全滅することもあった。
尚、狩猟採集生活に必要とされる知識や技能は農耕民のノウハウよりも高度で広範囲なものであり、ボンクラな者は足手まといになる。このため、狩猟採集生活においては役に立たない年寄りや知能の低い者は排除され、有能なエリートだけが子孫を残す。が、農耕民はボンクラでも下働きの仕事ができるため、多少知能が低くても子孫を残せる。で、農耕をはじめると人類の脳容積は小さくなった。
3. 農耕をはじめ���部族は人口が増えるため、それらは狩猟採集生活をつづける部族を駆逐していき、またたく間に世界の人類のほとんどが農耕民となった。で、農耕社会には余剰生産をしぼりとる支配階級ができあがり、階級社会が定着するようになった。が、そのコミュニティが広範囲なものに発展し、王朝のようなものをつくるには税の取り立てを組織的に行うための文書作成能力が必要とされ、余剰物資を交換するための貨幣制度が必要となった。で、紀元前3500年ごろのメソポタミア地方に現れたシュメール人はそのための貨幣制度と文字を発明し、多数の都市国家を築いて高度な文明を発展させた。
4. 大小の王国が多数できあがると、それらは互いに侵略し合い、いくつもの国を吸収した国は大きな帝国となった。帝国は次々と勃興しては滅亡したが、次第に規模の大きなものが発生するようになり、アッカド王国>ペルシャ帝国>ローマ帝国といった具合に拡大していき、東アジアには始皇帝の秦朝が成立し、インドにはムガル帝国、中米にはアステカ王国が成立し、モンゴル帝国なども出現した。人類のほとんどはそういう帝国の支配下に置かれるようになり、小さな部族や小さな民族の独自の文化や言語はどんどん失われ、その過程で虐殺される者も莫大な数に上ったが、生き残った者は広範囲な経済圏の中で安住できるようになった。
5. 現代社会は500年前の中世社会と比べると人口も生産力も科学技術力もケタ違いである。過去500年間で全人類の人口は14倍に増え、生産量は240倍に増え、エネルギー消費量は115倍に増えている。この現象をもたらしたものは金融システムの変革と科学革命によるわけだが、その引き金となったのはコロンブスのアメリカ大陸発見であった。アメリカ大陸での植民地経営が莫大な富を築きスペイン王国の経済力や軍事力は一気に飛躍したわけだが、コロンブスがインドへの新航路を見つけるために西へ航海したいと言ったときにそのプロジェクトにカネを出すものは皆無だった。当時の人類には「投資」をして手持ちのカネを増やすということを悪だとする観念があった。農業による余剰生産が今よりも格段に少なかったこともあり、世界の資産は有限で増えることがないと思われており、だれかが手持ちの資産を増やすということはだれかがそのぶんを失うということだと考えられていた。また、一般に、未来は暗いものであり、人々の暮らしは過去に遡るほどよかったと思われていた。そういう背景があったためか、科学技術の発展も非常にゆっくりとしたペースでしか進まず、中国��発明された火薬がヨーロッパで大砲に使われるまでに400年間もの歳月を要した。そこには権威ある者が自分たちの無知を認めないという障壁もあった。宗教家や預言者などは宇宙の仕組みについては全てを知っているという建て前をもっており、自分たちにもわからないことがある・・という点を認めなかった。このため当時の世界地図には空白部分がなく、既にわかっている地理情報のみを紙面いっぱいに詰め込んだ図となっていた。したがって、コロンブスが新しい航路の開拓について提案しても、そのために出資をする者はなかった。が、たまたまスペイン王国がムーア人との戦いでグラナダを陥落させて財政に余裕ができ、そのあぶく銭の一部をコロンブスのプロジェクトに出資することにした。と言ってもその規模は大したものではない。3隻の船に水夫120人が乗っているだけだった。その90年前に中国の明朝の武将である鄭和がインドへ往復した際の艦隊は30隻弱の船で組織されていて乗組員は3万人近くであった。これと比べればコロンブスの艦隊は屁のようなものである。が、アメリカ大陸の発見はスペイン王国に莫大な富をもたらした。ヨーロッパではこれを機に国家が投資をして新しい発見をすると「儲かる」ということに気づいた。世界の資産は有限ではなく増やせるのだということもわかった。また、世界には自分たちが知らないことがまだまだ山ほどあることに気づき、学者たちは知識の空白部分を埋めることに情熱を燃やすようになり、新たな発見に対する世間の評価と期待が膨らみ、未来は明るいものかもしれないと思う人が増えた。大航海時代が幕をあけ、資金を広く集めるための株式会社が出現し、国家がそれに投資してその利益を保証するために軍事力を使うという軍産複合体の原型がここにできあがり、これが世界を征服した。その大航海には必ず学者が同行するのが慣例となり、ダーウィンの進化論が生まれた。
6. ヨーロッパにはじまった軍産複合体に科学者が参加するシステムは、アフリカはもとより中国やインドにも伝播しなかった。中世そのままの時代にあったアジアの権力者たちは近隣の国に対してのみ興味を持ち、地球の裏側のことにまで興味を抱かなかった。このため、コロンブスがアメリカ大陸を発見したと聞いても、世界経済の3分の2を押さえていた中国やインドの権力者はアメリカ大陸に軍を派遣して植民地をつくろうとは思わなかった。産業革命が起きてヨーロッパに鉄道が普及しても中国やインドやオスマントルコは興味を示さなかった。そこには、ヨーロッパで熟成された神話や社会政治的な構造がなかったからである。とりわけ、公正な司法システムの構築による信用の獲得で資本を集めるという観念がなかった(今の中国には依然としてこの観念がない)。国民は王に服従し、どのような裁定が下されても文句を言えないというような社会構造では国家に投資する資本家は出て来ない。国民は自分の身の安全を考えるばかりで海の向こうのことや新しい便利な機械などに興味を持つ余裕がないのである。が、それらアジアの社会構造はヨーロッパに征服されることによって破壊され、ヨーロッパ式の神話と社会政治的な構造を注入された。ちなみに、日本だけは欧米に社会構造を破壊されることなく自力で破壊し、すすんでヨーロッパ式の文化を取り入れた。
7. 第二次大戦が終わり、世界の経済がひとつのシステムに統一され、富を生むものが土地や安い労働力から高い教育を受けたエンジニアたちの発明にとって代わられると大規模な戦争は起こらなくなった。他国の土地を占領して資産を横取りするよりも平和な環境で公正な商取引をするほうが儲かるようになったからであるが、核兵器の発明による戦争への恐怖ということもある。で、人類の科学技術は政治や産業界の求めに応じて飛躍的な発展を遂げ、医療や遺伝子工学や、コンピューターや、その他の電子機器の発達などにともなって人類を非死(怪我をすれば死ぬので不死ではない)の境地に導きつつある。我々は神の領域に入りつつあるわけだが、精神面での発達はほとんどなく、狩猟採集生活をしていた時期よりも後退している可能性があり、自分たちの欲望をコントロールすることもできていない。将来的な課題がここにあり、技術の発展によって仏教の悟りのような境地をだれもが得られるようになったりするかもしれないが、そうなったときには、「わたしたちは何になりたいのか?」ではなく、「わたしたちは何を望みたいのか?」という疑問に直面するかもしれない。